はや幾年(いくとせ)——女子部から始まった教師生活 中村 敬 – 南山常盤会
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恩師の近況

2019年4月2日

はや幾年(いくとせ)——女子部から始まった教師生活 中村 敬

ぼくの教師生活は女子部から始まった。昭和30年(1955年)4月1日のことだ。それから数えて64年が過ぎた。もうこの5月で87歳になる。女子部で5年間、男子部では6年間教えた。最後の勤務校は成城大学(英文学科)だった。成城大学に来るまでにも短大や他の大学で教えた。教えた学園の風景や生徒たちの人懐こい顔つきなど忘れがたいことが無数にある。それについては別の機会にゆずるとして、今回は今どんな生活をしているのか、その一端に触れる。
信州の白馬村に移住してから15年が経った。中央の政治を変えるのは地方の政治――、移住後15年の間にぼくの信念となった。移住と同時に始めたのが議会の傍聴だ。それとともに議会や行政が発行している情報誌を丹念に読み始めた。
そこで気が付いたのは、地方の政治は「八百長と学芸会」(元鳥取県知事、現早大教授の片山義博氏のことば)ということだ。「八百長」とは、議員が一般質問で取り上げる質問はすべてあらかじめ行政(回答者)に「通告」することになっている。万事こともなく予定調和よろしく終了する。当然白熱の議論など望むべくもない。
「学芸会」は質問の質があまりにも低レベルであることを示すことばだ。議会は自治体が直面する課題をめぐって政策論争をする所だ。ところが、これをどうするかといったリアルな問題を取り上げないで、「本村の観光政策はどうあるべきか伺います」のように一般論として何とでも答えられるようなフヤケタ質問がまかり通っている。地方がこれだから、安倍政権は何をいっても何をやっても安泰だ。
以上のことから想像いただけると思うが、ぼくの目下の生活は村政に関する意見書や公開質問状などを提出し、関係者と直接面会することにより、少しでもましな政治の実現を目指している。難敵は電磁波過敏症によって進行する難聴だ。最近アプリのUDトークをタブレットにインストールして使っている。これでもう数年は仕事を続けられそうだ。皆さんも、お元気で!
(2019年3月27日)

 

 

《プロフィール》

「中村敬先生(英語科)
南山ご在職期間…昭和30年4月~昭和41年3月

 

1932年豊橋市生まれ
南山大学英語学英文学科卒業
英国政府奨学生(British Council Scholar)としてロンドン大学留学

 

主な著書:『イギリスのうた』(研究社)、『私説英語教育論』(研究社)、『英語はどんな言語か』(三省堂)、『なぜ、「英語」が問題なのか?』(三元社)、『幻の英語教材』(共著、三元社)、『英語教育神話の解体』(共著、三元社)など

検定教科書の代表著者:中学校英語教科書The New Crown English Series(三省堂、1978~1993)、高等学校英語教科書The First English Series(三省堂、1988~1995)

 

「敬先生コメント」:眼に見えるものを書けば、以上のような著作物が並ぶが、ぼくの本領は教師であって学者ではなかった。教師の本領は教室だ。そこでの生徒や学生との格闘が僕の精神に与えた影響は計り知れない。それは眼に見えない何ものかだ。それは教え子からの贈り物であり、ぼくにとっての生涯の宝物となった。

 

「教え子のひとりより」(G08) 大竹由紀子(旧姓吉村)
私たちは今から60年程前、当時としては珍しい「Reader’s Digest」誌の原本を教材として、敬先生から英語教育を受けました。英語での厳しい質問の矢に応えるべく「chapter」毎を丸暗記しドキドキしながら授業に臨んだものです。そうした中で、国際化を見据え、これからの日本でどのように生きていくべきかを英語という言語を通して学びました。教室でのピリピリした熱くまた篤い日々は、強烈な青春の1ページでもあります。そしてそのご薫陶は卒業生たちの誇りとして、今に引き継がれております。心よりの感謝をこめて…。

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