vol. 46 横地 欣也(S10)「近(コン)ちゃん 司祭叙階40周年」 – Nanzan Tokiwakai Web
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2009年12月15日

vol. 46 横地 欣也(S10)「近(コン)ちゃん 司祭叙階40周年」

 今年は、神と教会に自らを捧げた聖ヨハネ マリア ビアンネの模範に倣って、キリストの御心から生まれた司祭職の賜物に感謝し、祝い、祈る年、「司祭年」(2009年6月19日〜2010年6月19日)。
 
 この「司祭年」の真只中、近藤雅廣師(S10)(レデンプトール会司祭)司祭叙階40周年を祝うことができるのは何という良いタイミングであろうか。
 
 50年前、紀伊半島から名古屋を襲ったあの伊勢湾台風と不気味に似たコースを北上していた台風18号。その最中、2009年10月6日(火)南山教会で近藤雅廣師司祭叙階40周年「感謝ミサ」が捧げられた。
 
 近藤雅廣師主式、ボグスワフ ノヴァク南山教会主任司祭、七種照夫五反城教会主任司祭、川上 誠 神言神学院経理担当司祭(以上神言会司祭)にマクドナルド「心のともしび運動本部」責任司祭が加わっての共同司式で「感謝ミサ」が開始された。
 
 川上師は、近藤師叙階後間もない頃、女子部修養会でコンビを組んだ仲間同士。
七種師は、近藤師が「心のともしび運動」に活動を移すきっかけとなった方。
マクドナルド師は、ご存じ「心のともしび運動」でのコンビ。いずれも意味のある方々の共同司式で、「感謝ミサ」は荘厳に行われ、「ぶどうの木」の福音朗読と説教は、キリストと近藤師、近藤師と参列者の連携に大きな意味を持たせた。
いつしか、多くの者が、1969年7月6日、この南山教会で行われた師の叙階式に思いを馳せていたに違いない。
 
 あれから40年。当初、我々は金祝(司祭叙階50年の祝い)銀祝(司祭叙階25年の祝い)をイメージしていたため、中途半端な「40」という数字に引っ掛かっていた。
が、自分が齢70を超えてみると、神に身をゆだねていると粋がっていても、はたして師の金祝までこの身が持つかどうかだ(不信仰)。この弱気を救ってくださったのは、「感謝ミサ」後、同所マリア館ホールで行われた「懇親会」が終了し、お帰りがけでの川上師の一言であった。
 
 モーゼがイスラエルの人々をエジプトの地から救うのにかかった年数、40年。
キリストが宣教を始められるに当たり、悪魔のいざないを見事退けられた荒野での断食40日。現代、我々がキリストの復活を待つ4旬節。これら「40」という数字の意味するものは、長い苦しみからの脱出、忍耐からの解き放ち・・・と考えてみると、これからこそが、近藤師の宣教への本番に当たるのではないか、と納得した次第(近藤師へのプレッシャー?)。
 
 「懇親会」では、叙階前の近藤師を取り巻く「環境」を知る上で豊富な出会いがあった。南山教会信徒に交じって多くの男子部ロザリオ会、女子部レジオマリエOB、聖マリア在俗会(旧カテキスタ会)の方々を見ればうなずける。
中学高校時代は、ヨハネス ポンセレット校長とクリスチャン教諭であった小林武昌、福山 徹、横尾一夫諸先生方の指導が大きかったし、授業後は、カマボコ聖堂(南山講堂裏玄関東側の一角)裏の小部屋で、ロザリオ会、レジオマリエを指導してくださった当時カテキスタ会の中島 邦先生の「公教要理」、信徒生活の厳しい指導が、今や懐かしい。中学時代から叙階に至るまでの指針を示し、ゲマインダー師にバトンタッチして下さった立役者である。巡礼の旅先から、師の叙階を祈る姿を彷彿とさせる文書が残っている。
 
 叙階後の足跡は、「心のともしび運動」等でご周知のとおりであるが、どうしても知っておきたいことがある。師が司祭を志すきっかけとなったのは何か。
我々信徒にも、受洗のきっかけは大なり小なり、実に他愛のない動機まである。ひとは司祭を志す時、必ず何らかの動機があるはずである。ならば、近藤師の動機は・・・。
「懇親会」の冒頭、師は、懐かしく回顧しながら次の話をされた。
 
 名古屋での最大風速37メートル(最大瞬間風速45.7メートル)、海抜の低い危険地帯では、海水位3.89メートルの高潮。名古屋港の貯木場から流出した20万トンに及ぶラワン材が家も道路も人の命も奪っていった。伊勢湾台風での死者は名古屋だけでも1909名に及んだ。
 
 南山大学の救援隊が組織され、死体探しに臨んだ彼。横一列に隊列を組んで、足で探りながらの死体捜し。何日も続いた。何と勇気のいったことか。何と怖かったことだろう。神は、想像を絶する驚きのなか、強烈な体験の中で「召し出し」を可能にされる。
我々凡人には計り知れない「召し出し」の神秘。師の話のどれだけを理解し、どこまで「召し出し」の奥義に近づけただろうか。
 
 司祭叙階から40年、先ずは無事、大気圏に突入された師が、これからどんな宣教活動に入られるのか、楽しみである。
台風の最中、近ちゃんは、名古屋から、ご赴任先「宮津」までを10時間かけてお帰りになった。
 
 
横地 欣也さん(S10)プロフィール
 
 昭和37年  立命館大学文学部中世文学科卒業
 昭和37年  広告代理店「三晃社」入社
 昭和51年  広告代理店「三晃社」退社
 昭和51年  京風甘味「甘里庵」開業、5年継続
 昭和52年  学校法人南山学園事務職として奉職
 平成14年  学校法人南山学園事務職定年退職

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