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2023年6月18日

vol.181 田中 洋(S22)「同級生交歓」掲載の顛末ご報告

 S22の田中洋と申します。『月刊文藝春秋』2023年5月号の「同級生交歓」というコラムに同級生の友人4人で取材をしていただき、出演を果たすことができました。その顛末をご報告申し上げます。
お話があったのは今年の初め頃、知人の紹介で出てみないかと誘われ、同級生の方々にお声がけしました。皆様お忙しい中予定を合わせて東京・銀座に全員集結、編集者が撮影用のバーまで手配してくれて、ようやく実現したというわけです。その時書いた文章を以下にご紹介します。
 
◆出演者(すべてS22、1970年昭和45年卒業)
田中洋(中央大学名誉教授)
酒井庸行(参議院議員)
後藤繁榮(フリーアナウンサ―)
塚本満(陶芸家)
 
◆本文
 我々四人が名古屋市にある南山高校男子部を卒業したのは1970年。中京地区の企業オーナーが息子を通わせるというイメージの学校だったが、カトリックの教えに基づいた厳格な教育がなされていた。
 酒井庸行君は現在、二期目の参議院議員(自由民主党)を務め、財政金融委員長という要職にある。刈谷市市議会議員と愛知県県議会議員を務めたのち、オヤジさんの後を継いで参院に出馬して初当選したのが2013年。満を持しての国会登場だった。
 高校時代の酒井君は今もそうであるように、とてもおだやかな性格で、医者を志望していたらしい。なぜか芸術系の大学に進学して、同じキャンパスで再び出会ったのが同級生の後藤繁栄君だ。
 後藤君は、岐阜にある「ゴトウのヒヨコ」ブランドで「美味しんぼ」にも登場する日本一の孵卵場経営者の家の出身である。高校時代農学を志向しながらも、卒業後NHKのアナウンサーになった。2000年から担当したのがEテレ「きょうの料理」。後藤アナと言えばダジャレで知られていて、「チコちゃんに叱られる」にもダジャレで出演を果たしたほどである。
 塚本満君はまさに生粋の芸術家である。人間国宝の陶芸家、塚本快示氏の長男として岐阜県土岐市に十代目として生まれ育った。大学を卒業してから、父上が主宰する「快山窯」に入り現在当主を務めている。「青白磁」「白磁」で知られるその清明な色調は高い評価を受けている。伝統を引き継ぎながら、欧州の磁器にも学び、中国の窯を頻繁に訪れるなど常に精進している。
 私(田中)は最初電通に入社、その後、大学に転じて法政大学・中央大学等で教鞭を執った。マーケティング論、ブランド論を専門とし、二つの学会会長職も務めてきた。
こうして久しぶりに集まり53年後に振り返る青春は悪くない。
 
 以上が月刊文藝春秋に紹介いただいた記事内容です。南山を卒業以来、50年以上が経ってしまったことになります。それ以来、私自身は南山を訪問する機会もほとんどなく、一部の卒業生以外とはコンタクトもあまり取れていません。そんな自分であっても、やはり南山時代に先生方から培っていただいた英語力を始めとして、さまざまな素養が今でも仕事の中に生きていると折に触れて感じています。
 私は記事の中でも書きましたように、最初、広告会社の電通で21年勤務したのち、法政大学・中央大学でマーケティング関連科目の教鞭を24年間取り、2022年3月に定年で退職しました。現在でも引き続きマーケティングやブランド関係のアドバイザーや執筆・講演などに関わっていますが、こうしたことができるのも、やはり南山での厳しい教育があったためではないかと思っています。
 今回の撮影で銀座に集まり、撮影後、塚本君が食事の場を手配してくれました。そこで久しぶりに4人で語り合ったわけですが、私自身は後藤君以外の二人とは卒業以来初めてだったと思います。それどころか、在学中でもクラスは別でしたし、面識こそあれ、ほとんど会話したこともなかったように思います。ただこのように53年ぶりに会って話をすると、先生方の話題、同級生のウワサ、学校生活の記憶など、話は尽きませんでした。こうしたことが可能なのも、やはり南山という濃密なコミュニティとその豊かな人間関係を経験してきたおかげだと感じています。我々は4名とも、母校に貢献できることが何かあればよいね、と話しておりました。どこかでお声がけいただける機会があれば喜んで参上しますので、そのような機会があることを期待しています。
 ありがとうございました。

左から 酒井さん 後藤さん 塚本さん 田中さん(ご本人)
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