2006年12月24日
名古屋市西区で手焼きあられを販売されている、都あられ田口本舗の社長S20の田口喜博さんをお訪ねしました。
名古屋の歴史は、江戸初期の清須越えによって、清須の町の神社、寺、橋までもそっくり名古屋に移動されてからはじまったことはご存知のとおりです。
その清須から名古屋までの道は美濃路と呼ばれ、中仙道の垂井の宿から大垣、墨俣を経て尾張の起、稲葉、清須を通り名古屋城へ入る西の玄関口であり、名古屋 城から宮の宿で東海道に結ばれる、戦略・商業上の重要な街道で往時は大変な賑わいがあり、その美濃路沿いの押切は職人の町として栄えていました。町内には 菓子の祭神−田道間守命(たじまのかみのみこと)を祭る白山神社があり、神社前の広場には茶店が並び旅人の休憩場所として賑わっていたようです。
大正8年、京都でおかき作りを修業された祖父の友造さんは本当は東京へ向かって京都から旅をされていたようでしたが、途中で出会った旅人から名古屋は大変景気がいいと聞かされ、名古屋の菊井町で創業されたようです。
今、世間ではいざなぎ景気を超える景気拡大がつづき、特に名古屋は昨年の万博、名古屋駅前のミッドランドスクエアなどの開発に見られるように、他地区より景気がよいと言われていますが、当時は本当に景気が良かったのかもしれませんね。
創業当時は、製造して店頭での販売をされていましたが、戦時中は物資の統制により原料の供給ができなく廃業し、戦後現在の地押切に会社を移され、製造販売・OEMでの製造などの卸部門など事業を拡大されましたが、現在は自社での販売が中心となっているとのことです。
事務所ビルの向かいにある工場を案内していただきました。近年の洋菓子ブームに慣れすぎているためか、工場に入ると焼き上げたあられの醤油の香ばしい香りが してなんともなつかしく感じました。ご子息も熟練した職人さんにまじり、あられを焼き上げておられ、創業以来のこだわりを受け継がれているようです。
創業以来、純国産北海道の水稲米、生醤油、有明海の海苔、赤穂の塩など厳選された素材にこだわり、創業以来、今日まで職人気質を頑なに守り、一枚一枚丁寧に焼き上げています。 あられの製造工程は、水稲米(もち米)を突き上げ「もち」を作り、冷やして硬くし様々な形に裁断し乾燥させ、両面を丹念に焼きあげ、醤油などで味付けされます。
現在でも1週間から2週間は製造に時間がかかり、ほとんど手作業のためずいぶん手間をかけて製造されています。
近年はどんな業種でも「和」ばなれのなか、味、パッケージ、中に入れる栞などをシーズン毎に変えるなどの販売戦略など積極的な展開を図られています。
また、今年はあられ業界でも話題になるような、きれいな通信販売のパンフレットを作成され各店舗などで日頃のお客様へ配布されています。その中には期間限定ですがあられだけでなくお正月の「おもち」も製造されるとのことです。
都あられ田口本舗さんより、5名の皆様にプレゼントをご用意していただきました。こだわりの手焼のあられです。ありがとうございました。
事務局までメールでご応募ください。応募者多数の場合は抽選しメールにてご連絡させていただきます。なお事務局までお引取りいただける方に限定させていただきます。
応募はこちら
[応募締切] 12月12日(火)まで
引取りは 12月20日(水)までとさせていただきます。
<文責:尾関>