2017年12月28日
常盤会報No.104「地球サイズの南山生」でご紹介頂きましたG48の子の母です。
双子の娘たちが南山生となり、常盤会「聖書研究会」に入れて頂きました。月1回、講師はアメリカ人のフランシス・ブレシ神父様でした。
そして10年後、4大卒業した双子の1人が超氷河期に無事就職したのも束の間、メキシコ支店への転職交渉し、スペイン語が必要と言われて諦め、知人のインド人が支店長を務めるチリの別会社へ就職を決めました。ビジネスは英語で間に合うので現地で語学学校へ通ってスペイン語を習得するという準備万端整えた後に、私たち家族に発表したのでした。
電撃宣言を聞いた後、日が経つにつれ現実感が迫り、我が家は謂わば「お家騒動」の約2週間に突入しました。翌々週の日曜日に東京から名古屋まで説明に来ることになり、その機会に私は<何が何でも、説得して『思い留まらせる』>と覚悟し、そのための<先ずは情報収集>を全身全霊で始めました。そんなある日マイカーの中でCDから聞こえてきたのが「百万本のバラ」(松山善三 訳詞)の一節
“貧しい絵描きの僕に できるのは一つ 何もかも捨てて 貴女を想うこと”でした。
これを聴いて、我に返った気がしました・・・私は、この騒ぎで本当に娘のことを想ったか?離れる娘、自分の将来を見つめる娘の立てた計画を理解しているのだろうか?
それで思い至ったのは遠い地球の裏側チリについて私はいったい何を知っているだろうか?「細長くて地震が日本と同じくらい多い国」くらいでした。またインターネット検索では「面積、人口、首都」また「民主化されて10年経過し、世界から民主国家と認められている」以上でした。私の知りたいことは何も載っていません。頭をフル回転させて、何とかして「チリ」を知りたいと思っている私に思い浮かんだのが、東海地区の教会にいらっしゃる神職者の方です。丁度その週にあった聖書研究会でブレシ神父様に「神父様、チリではなくても、せめて南米からいらしている神父様とかご存じないでしょうか?」とお尋ねしました。すると「いますよ、チリ人。刈谷教会のオズワルドに会いなさい」とのこと。当日指定された場所で待つ間、私が考えていたことは「私の知りたいこと、ニュアンスまで日本語が通じるかなぁ??」でした。
そこへ入っていらした40歳前後の爽やかなオズワルド神父様。私が「この度は、お忙しいところ、本当に申し訳ありません」とご挨拶すると、流暢な日本語でお話し下さいました。神父様「やあ。行くのは娘ですか?息子ですか?」といきなり本題へ。
私「娘です」/神父様「何歳ですか?」/私「??あっ、23歳です。」/神父様「あぁ、じゃマチュアですね!」/私「はっ?・・・はぁ・・・」(なんと”mature(成熟した)!!”想定外の単語)/神父様「他に何か聞きたいことはありますか?」/私「えーっと、あーっと。大学とかありますか?」(あとで思えば超愚問!まるで、今でも日本の城には忍者いますか?という質問と同レベルですね)/神父様「いやー、失礼ですねー(笑)ありますよ。ただ残念ながら、大学を出ているというだけで、皆が『スゴイ!』という評価をするというのは困ったものです」/私「今日はどうもありがとうございました」/わずか10分足らずの会見でしたが、私の50年余の人生の中で衝撃的な大事件となりました。
「23歳」というだけで「大人」という発想は日本にはないように思います。「あの人は大人ね」というと、<性格・言動・立場がしっかりしている>という意味になる日本では、「23歳なら大人というカテゴリーに入る」という<分類>は異様なのかもしれません。しかし、それが<世界標準>なのかと思わざるを得ませんでした。という訳で、我が家の「お家騒動」は一件落着しました。以来、自身も含めて人を見る時、私にとって”mature”という一語がキーワードになりました。
しかし、最近つらつら考えるのは、狩猟民族の西洋文化と、農耕民族の日本文化とは、ヒトの成育度に関して何らかの影響を与えているのではないかということです。
またこれからのAI時代に民族のDNAはどういう意味をもつのか等々考え出したら興味は尽きず、(現在は)パリと東京に住む双子たちのこともつい忘れてしまいそうな今日この頃です。
田中 益子
プロフィール:女子部卒業 G19
歯科医師(61歳で日本矯正歯科学会認定医取得、天職と思っています)
趣味・・・歌、俳句(最近は苦しくて止めたいと毎日思っています)
家族・・・G48の双子を含んでいます
夢・・・・洒落たカフェでウエイトレスのアルバイトをする(メイドのユニフォーム以外で)