2018年5月28日
同窓生から在校生に贈る『かがやきメッセージGem2』を20年の時を経て刊行することになったとのことで、常盤会広報部から原稿の依頼をいただいたのが昨年秋のことでした。「言語聴覚士」(Speech-Language-Hearing Therapist略称 ST)という1997年に国家資格になったまだ知名度の低い仕事をなりわいとしてきた私は、短いメッセージにこの仕事のエッセンスをどう入れ込むか、頭を悩ませた末、二十数年前にお会いした重度失語症のKさんご夫妻との交流について書かせていただきました。
失語症になった人は言葉のわからない外国に突然迷いこんだよう、とたとえられます。
50歳代後半で脳卒中になり、右半身の麻痺に加えて言葉を失ったKさんは12年もの間ご家族との会話も通じず、家に閉じこもっておられたのでした。
Kさんが暮らす町には公立大学として全国ではじめてSTを養成する学科が新設され、私はその準備段階からかかわっていました。大学ができた二十数年前には、まだ「言語聴覚士」という国家資格はなく、地域の方も「STって何する人?」という状態でしたので、まずは地域の方にSTの仕事を知っていただこうと思い、社会福祉協議会と協力して毎週1回夕方から「あなたと話したいー失語症ボランティア講座」という講座を開きました。果たして参加者があるかしら?と不安に思いながらも、蓋を開けてみると70人を超える盛況ぶり。 「未知の分野」への地域の方々の関心の高さに驚きました。
6か月に及ぶ講座を終えた方は50人ほど。その中にKさんの奥様がおられたのです。
講座の最終日、私のところにこられた奥様は、「主人が話せるようになるとは思わないのですが、どれだけわかっているのか、それが知りたいのです」、と言われました。病気になる前は伝統ある夏祭りのパレードで商店街チームの先頭に立って踊り、街じゅうを練り歩いたというKさんでした。早速大学のクリニックに来ていただき、残された能力を引き出す言語訓練を開始しました。その後長年にわたる学生やST教員とのつながりを通して失語症をもった生活と向き合い、失語症仲間やボランティアの人たちからも力をもらい、だんだんと昔のアイデンティティを取り戻され、ついには車いすで夏祭りに参加するまでになられました。
『Gem2』ができあがり、Kさんの奥様にお送りしたところ、「私達二人の人生を明るく喜びに導いてくださったのは綿森先生と大学の皆様のお陰といつもありがたく心から思っています。当時の様子いろいろと本に書いて下さって、心から有難く、感謝の心でいっぱいです。この本の様子を読んで一人でも二人でも先生のような方が続いて下さることを祈っております」というお手紙をいただきました。
『Gem2』のメッセージが、在校生にとって「未知の職業」に出会うきっかけになってくれたらうれしく思います。
失語症の症状は百人百様で、言葉が全く話せず、理解もできない方もあれば、込み入った会話をしてみてはじめて意思疎通の難しさに気づかれるような方もあります。
世の中の多くのことは「言葉」の力で動いています。思い通りに話せないことから、人との関わりを避けて閉じこもりがちになったり、焦燥感や挫折感のためにうつ状態になる方も少なくありません。STの専門的な訓練を受けられる期間は限られていますので、身近な環境、地域社会によき理解者、よき話し相手がいることが何より大切です。国の制度では、聴覚障害のある方への手話通訳などの意思疎通支援はありますが、「失語症」の人のニーズにあった支援は存在しませんでした。平成25年度に「障害者総合支援法」が施行され、その後事業の見直しが行われる中、失語症の人たちの長年の訴えがようやく認められ、今年度から「失語症者向け意思疎通支援者
養成事業」が始まることになりました。失語症の人たちがどこかに出かける場合の同行支援や役所など公的機関を利用するときの派遣なども申請すれば本人の負担なしに支援が受けられるようになります。この制度が定着するにはもう少し時間がかかるかもしれませんが、失語症の人が生きやすい地域社会の実現に向けての大きな一歩となりましょう。
愛知県では「NPO法人あなたの声」(http://anatanokoe.sakura.ne.jp/)が熱田と安城に「失語症サロン」を開設し、失語症の方、ご家族、ST、会話パートナーなど誰でも気軽に相談したり、情報交換したり、交流できる場をスタートさせています。
関心のおありの方は以下にお問い合わせください。
あなたの声事務局 kaiwapatona@gmail.com 090-6469-2683
<プロフィール>=================
綿森 淑子(G09)
東京大学医学部保健学科卒業
ワシントン大学大学院言語病理学修士課程修了(M.A.)
医学博士(東京大学) 言語聴覚士
東京大学医学部附属病院リハビリテーション部言語治療士
東京都老人総合研究所研究員
広島県立保健福祉大学(現県立広島大学)保健福祉学部コミュニケーション障害学科教授を経て、現在は名誉教授