2018年11月30日
「そうだ、旅に出よう」
2018年5月。
3回目の司法試験を受け終えた私は、今回も手ごたえがなかったことに心を荒れさせ、スマートフォンでグーグルマップを開いていた。
日本の全体図をスマホの画面に表示し、目をつむる。
そのまま思い切り指で画面をタッチし、ピンが刺さった場所が―― 岡山であった。
岡山と言えば、倉敷美観地区である。
せっかくなので倉敷を拠点に、山陰地方や四国を3か月ほどかけて旅をしようと考えていた。そう、7月までは。
6月末に実家を出て、倉敷市での初めての一人暮らしを始めた私を襲ったのは7月豪雨だった。
山陰地方へ行く路線は運行中止になり復旧の目処は立たず(8月頃に復旧した)、四国への電車も毎週来る台風で頻繁に運行が取りやめられた。岡山県内の路線も復旧目処が立たないものがいくつもあった。
さて困った。行くところがない。
おまけに、引越し費用が思ったよりかさんだせいで遊ぶお金も足りない。
そんな人生の迷子を雇ってくれたのが、岡山市内の法律事務所であった。
法律事務所の事務員はパラリーガルと呼ばれ、お茶くみや電話対応といった一般事務の仕事に加え、弁護士のスケジュール管理などの秘書業務や事務所の経理処理、そして弁護士の作成する書類のチェックや叩き台の作成などを行う、少し特殊な事務員である。
もっとも、法律事務所によって事務員の仕事内容は異なり、お茶くみや電話応対だけだったり、逆に書類の叩き台を作るだけだったりする。
男女比としては女性が圧倒的に多い職種であるが、私の上司にあたる事務員は男性で、勤続10年のベテランであった。
女性は結婚などで退職し、出産後に同じ法律事務所や別の法律事務所に復職することが多いようである。
私の場合は法科大学院出身者であること、倒産法選択者であったことから、
・お茶くみ、来客・電話対応、ファイル整理、弁護士のスケジュール管理に加え、
・刑事裁判で検察官に反論する書類の叩き台を作ったり
・刑事裁判に関して検察側から開示された証拠の謄写をしたり(検察庁の謄写室で紙の束をひたすらデジカメで撮影して帰り、事務所のプリンターで印刷する)
・保釈金200万円を持って納付先の裁判所へ行ったり(札束を持って電車で片道2時間の距離を行くのは緊張した)
・民事裁判の訴状の誤字や数字のチェックをしたり
・裁判所に確認の電話をしながら破産申し立てに必要な書類集めをしたり
・交通事故の被害者請求(後遺症等級認定の手続き)のための資料集めを行ったり
・弁護士会館に弁護士会の書類の提出に行ったり、弁護士職印の印鑑証明を取りに行ったり
・依頼者への費用明細&請求書の作成・送付や終了報告書送付をしたり
していた。
ちなみに私はアルバイト扱いだったので時給1000円で交通費全額支給であった。
正社員になると月19万円ほどで年間賞与4か月分らしい。
勤務時間は平日9時半から18時だったものの、私の仕事が遅いせいで18時半過ぎの退社が多く、遅い時は21時頃になることもあった。ただし、他の事務所の話を聞く限り、事務員は9時から17時勤務で定時に退勤するというのが多いようである。
(弁護士は10時から22時ごろまで事務所にいて、自宅でも書類作成をしている様子であり、土日も出勤しているようであった。これは弁護士としては平均的な方で、東京で弁護士をしている高校同期は9~26時勤務で土日も出勤しているとのこと。)
さて、冒頭でパラリーガルの日常と言いつつも、多くを過去形で書かせていただいた。
実は10月末に退職しており、今はパラリーガルではないからである。
9月に司法試験の合格発表があり、12月から約1年間、司法修習へ行くことになった。
もっとも、司法修習は12月からと言いつつも、10月半ばに事前課題と教材が段ボールにぎっしり詰められて司法研修所から送られ、11月上旬に提出期限が来るという、合格者を遊ばせる気のないスケジュールとなっている。
そんなわけで、実家からの「課題や提出書類らしきものが届いているけど良いのか」という連絡で慌てて実家に引っ越してきたのである。
12月は埼玉、1月から9月までは高知、10月から11月は埼玉での研修となる。
パラリーガルでさえ守秘義務の関係で書けることが少なかったが、もし機会があれば司法修習生の日常についても書かせていただければ幸いである。
プロフィール
2013年3月 南山大学法学部卒業
2013年4月 名古屋大学法科大学院入学
2016年3月 同大学院卒業
2017年6月 フリーライターとして開業
2018年9月 3回目の司法試験に合格
2018年12月から司法修習(72期)予定