2006年6月1日
昨春チェロを始めた。弦楽器は難しい。腕の角度、肘の高さひとつがすんなり覚えられない。先生に直される度に、正しい姿勢を型に取って持ち帰りたいほどだ。
これだから大人の音楽修行の道のりは長いのだ。子供はこの部分の修得が俄然早いんだろう。理屈ぬきで体の筋肉が自然に覚えてくれるに違いない。小学校の頃、前日までは水に顔をつけるのも怖かった私が、ある日突然泳げたように。あれは理屈じゃなかった。水に浮いて前進するためのバランスが突如、自分の中で納得できたのだった。初めて泳ぎながら、なぁんだ、こういうことだったのか、と思った瞬間を、今でもはっきり覚えている。泳げる人たちはみんなこうしてたんだ、と。
大人の楽器修得は大変だ。普段使わないような筋肉を使わなければならず、その上、筋肉を緊張させてはいけない、と来ている。リラックスして柔らかく構えなければならないのに、苦手な指遣いや速いパッセージに差し掛かると、心理的な焦りも手伝って、左手も弓を持つ右腕も緊張してくるのがわかる。大変な箇所を終えた後で、自分がどれだけ硬直しているかに気付く。息も詰めているらしい、弾き終えると「ふぅ〜」と大きなため息が出る。
大人になってからの楽器修得で何か良いことがあるとしたら、自分の頭で考え、納得するまで試行錯誤ができる、という点だろうか。子供が何も考えずに本能的にやることを、自分の頭で考え試す。うまく行かなければ、何がいけないのだろうと立ち止まって問題を考え直す。少し違ったやり方を試す。うまく行く場合もあるがそうでない場合も多い。そこでまた何がうまく行くのかを考え、比べ、そして試す。
うまく行く割合が徐々に増えるまで、その工程を繰り返す。厳しく地道で孤独な作業だ。時間もかかる。でもそこにはきっと結果が付いてくる。そのときの喜びは大きい。
私の先生は、大人になってからのチェロ修得を全面的に支持しているし、努力次第で「かなりのレベルまで上達できる」と繰り返している。心強い。パブロ・カザルスは93歳になっても毎朝、音階の練習でド、レ、ミ???と繰り返し、ミの音が思ったように正確に出ない、とこぼしたという。そして96歳にして「まだ毎日新しいことを学んでいる」と語ったという。私にとってカザルスは神様みたいな存在だから比較するなんてとんでもないが、彼の姿勢には深く感銘を受ける。理屈で考え、試し、学んでいくプロセスの一歩一歩を心から享受できることこそ「遅れてきた修得者」の特権かもしれない。
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