高田内科クリニック – Nanzan Tokiwakai Web
  1. HOME >
  2. タウンぶらぶら歩き

タウンぶらぶら歩きTown BURABURA Walking

南山タウンに広告掲載されているお店や会社の訪問記

2011年11月3日

高田内科クリニック

高田内科さんの場所は地下鉄東山線、中村日赤の駅から徒歩2分。たいへん便利で分かりやすいところにあります。

駐車場も広く16台分もあるので、お車の方も安心です。

10月のある日、その高田内科さんにお邪魔して、医学博士高田晴子さん(G12)にいろいろお話を伺いました。取材者の一人である私は晴子さんとは中学時代からの同級生。中高と南山時代を一緒に過しましたが、能力の違いか努力の違いか、進んだ道も今の状況も全く違います。それでも通じるところがあるのは嬉しいですね。お聞きした楽しくためになるお話は後ほどゆっくりご紹介します。

医学博士 高田晴子さん

*まずは高田内科さんの簡単なご紹介から

「医療法人高田」の中に

「高田内科クリニック」と「ライフ健康クリニック」二つの部門があります。それぞれのクリニックの立派な建物も道路を挟んで二つに分かれています。

高田内科クリニック           ライフ健康クリニック

*高田内科クリニックは
治療が中心です。内科小児科全般のほか、特に循環器疾患(高血圧症.狭心症.不整脈.動脈硬化症など)糖尿病.高脂血症(高コレステロール血症など)といった「メタボリックシンドローム」とその周辺の疾患の診療と予防にも力をいれているそうです。

待合室                         処置室

*ライフ健康クリニックは

予防が中心です。そのライフ健康クリニックの中にまた別にライフ予防医学センターというのがあり,巡回検診などをしています。バスを4台所有して各企業を回っています。そこで、精密検査が必要となった人は、本人がよければ、ここのクリニックで検査をします。
CTやエコーなど最近の医療設備を備え人間ドック.成人病検診やガン検診、病気の早期発見、また各種予防接種などもしていますし、専門的な治療でなく一般的な疾患やどこの科を受診したらとか健康チェックなども気軽にご相談くださいとのことです。

吹き抜けでゆったりとした待合室                 診察室入口

*さてこのレポートでは晴子先生についての情報を主にお伝えしたいと思います。

晴子先生を知ることは、高田内科さんに詳しくなる近道とも言えそうですから。

医学博士で、血管の研究については第一人者。その昔、血管年齢なる言葉を最初に使ったのも晴子先生。そして、血管年齢と自律神経の働きを測る測定器を開発されました。

テレビの楽しげなワイドショー的健康番組などで、医師がもっともらしく解説などしてくれますが、血管の老化度を、指先を入れるだけでチェックできる機器が出てきたりします。ご覧になったことありませんか。
それこそ、晴子先生と企業との共同開発の血管年齢測定器なのです。自律神経の具合も測れます。製品化にあたってほとんどの大手の企業が接触してきたそうですが、大企業には制約も多く、中々話が具体化しなかった。結局、リスクを冒してでもやりたいというベンチャー企業と組んで念願の商品化が実現したそうです。

指先で測れる、晴子先生開発の血管年齢測定器

そんな立派な医学博士の晴子先生ですが、大学は市大薬学部をふつうに卒業して(これだけでも十分優秀ですが、その後に比べていう意味)。ふつうに結婚。医師を目指しての医学部の受験は何と39歳の時です。息子さんと一緒に受験勉強、一説には背の高さほどの参考書類を読破なさったとか。見事岐阜大学医学部に合格。

始めは臨床医になり家(高田内科)で働いてもいいと思っていたけれど、考えてみれば、夫が医師としてやっているところに、わざわざ自分が入って、夫から怒鳴られたりすることもないではないか(笑)。
研究をしてみたいと考えるようになった。
晴子さんの医師への道は、始まりが遅い分常に前へ前へと。研修医の間に既に研究生となる準備をし、入れてもらえるところをさっさと探し、岐阜大学のある教授のところに研究生として入った。無給の研究生時代はバイトで健診バスに乗り地方をいろいろ回った。都会と田舎じゃ天と地ほどに違う。その差に驚いた。健康への意識も低い。ある地域では、魚を食べ肉は食べないという。一見健康的ですが、川魚の味付けの濃さが曲者。糖尿病や脳梗塞、脳出血が多い。健康のために肉をやめ、魚を食べると言う人に貧血が多いことにも気づいた。ぶよぶよ太りです。タンパク質は必要。肉も食べなきゃ。啓蒙活動の必要性を身をもって感じる。食事指導も難しい。きめ細かさが必要。ここでの経験もその後の研究に大いに影響します。

*晴子さんが岐阜大学衛生学教室の助手になったのは、卒業後まだ3年目くらい。

ふつうは博士号のある人がなりますが、てきぱき頭もよく間に合う晴子さんですから、何でもふつうじゃありません。ただその後、その教室が教授の定年を機に閉鎖になることになり、さあ大変。教室のあるうちに論文を仕上げて博士号をとらなければ、この機会を逃せば、またまた博士号取得に時間がかかってしまいます。面倒見の良い晴子さんは自分の論文を頑張りつつ、研究生たちの論文も見てあげ、あるときは手伝い、なんとか教授の退任までに自分はもちろんですが、研究生5人も見事に博士号をとれたそうです。

博士号もとれて、しかし教室は閉鎖。そんなときに、岐阜女子医大から教授にと請われます。

晴子さんがおっしゃるには、「教授というのは本の何冊も出版していたりするもの(?)だし、卒業後7年目くらいで教授というのは早すぎる。早いといっても、自分の場合、年齢は早くないから(笑)、じゃあ、本の一冊も出さなきゃ」。ちょうどPHP研究所から出版してもらえた。タイトルは「おいしく食べてやさしくやせる」

その本を引っ提げて教授になられたということです。

そういえば、その出版パーティーというのか教授就任祝いの華やかな会に私も伺ったことを思い出しました。

でもその大学の女子ばかりの環境は晴子さんにはあまり合わなくて2年でやめたそうです。
その後、鈴鹿医科大学の教授として迎えられますが、男性がほとんどの職場でいきいきされたようです(笑)。ここで、のびのび研究もなさって、成果を発揮されます。

*何でも役に立つ
ところで、晴子さんは薬学部出身なので医師として最初から薬の名前にも詳しくその点では有利かと、勝手に思いましたが「確かに他の人より薬に通じていたけれど、それは昔から家でこきつかわれ、薬局を手伝っていたからで、薬学部時代のおかげではないですね。検査データーが読めたのは薬剤師になりたくなくて大学卒業後中央検査室で働いていたからだし。薬剤師より検査技師になりたかった」

解剖だって、やせても枯れても主婦ですから。包丁使いの経験豊富さで「お願いします」と頼まれれば、「まかせてちょうだい」と「ささっと切り開いたりできましたよ」(笑)。何でも経験は役にたちますよと、勇ましい晴子先生。

*ここで改めて医療法人高田さんの医師をご紹介します。

高田内科クリニックの院長は晴子さんのご長男、高田統夫先生です。「臨床が専門の彼に内科は全面的にまかせています」と晴子さん。

ライフ健康クリニックの院長は晴子さんのご主人高田和夫先生。晴子さん曰く「私と和夫で、こちらを担当しています」

ご主人の高田和夫医院長と晴子さんの似顔絵         ご長男の高田統夫医院長

ヘルスコア指導医長は晴子さんのご次男高田幹夫先生

統夫先生の妻である高田順子先生(南山卒)も医師として貢献していらっしゃいます。

晴子先生は、それぞれにうまく役割分担ができていますとおっしゃっていますが、ご家族でお医者様がザクザク、素晴らしいことです。

晴子さんご自身もですが、高田クリニックの医師は皆さん産業医の資格をお持ちです。

*産業医についてお尋ねしてみました。

千人以上の会社には、1名以上の専任産業医を置かなければならない。50名以上の事業所は産業医を置かなければならない(専任でなくてもいいが)。という法律があるそうです。
昔は産業医の活動も少なく、なり手もすくなかった。定年退職後の医師がなったりしていて、バリバリの産業医というのはいなかった。今は全然事情が変わってきています。
資格も必要となり、日本医師会の認定によるものは、5年ごとに更新しなければならない。
晴子さんはその医師会の認定ですが、ご次男の幹夫さんは産業医科大学をご卒業なので永久資格だそうです「『医師会認定の産業医とは違って特別に偉い資格なんじゃ』と本人は言っておりますが」と笑う晴子さん。でも産業医を養成する大学ということで、本当に専門的です。授業料も無料。おまけに当時は毎月五万円のおこづかいまでいただけました。
しかし甘いだけではなく卒業後は9年間の御礼奉公が義務づけられていて、それを断れば、かかった費用三千万円を返さなければならないということ。
臨床もきちんと勉強、研修医も2年。労働衛生コンサルタントの資格もとり、9年間の御礼奉公の産業医生活も無事に終えた幹夫先生は、今はライフ健康クリニックの人間ドックで能力を発揮なさっています。

幹夫さんの労働衛生コンサルタントの資格があるとオフィスを開業できるそうです。法律も含めて働く人の健康管理。
企業の社員、その家族おじいちゃんおばあちゃんまで、地域に密着して、二次も三次の予防もカバーできたらいいなと、ゆくゆくはそんな風にしていきたいと晴子さんは願っています。

もともと最初に岐阜大学で学んだのが衛生学教室でした。
公衆衛生学と衛生学、メインは労働衛生で、それまではカドミウム汚染の実態調査などの研究をしていましたが、時代は変わって、公害は少なくなったし「産業衛生は終わっている」。環境衛生はもうやりたくなかった。それより生活習慣病の研究がしたかった。
しかし面白いことに厚生労働省が2.3年前からメタボがどうのと言いだしてきています。

*ここでこの先の話に関係する「公衆衛生」について晴子先生は解説くださいました。

歴史をひもとけば、日本でのそれは明治時代のこと。
コレラやマラリヤ、結核など感染症を克服しなければならない。日本の近代医学のあけぼのは公衆衛生からでした。

ドイツから学んで感染症を克服しようと政府が一丸となる。そのうちの一人が森鴎外でした。

当時は衛生学が医学でした。
戦後、進駐軍がやった立派なことはパブリック衛生、公衆衛生の観念を持ち込んだことです。ひとりひとりではなく、全体を考える衛生学。
もうひとつアメリカのおかげといえることは、保健所を作ったこと。
これによって公衆衛生も一段と発展し感染症も少なくなった。
今では重大な感染症もコントロールできるようになり、結核も公衆衛生でやらなければならないという段階ではなくなった。

そんなわけで公衆衛生が今は生活習慣病にシフトしてきています。それとメンタルヘルスです。

晴子さんが産業医として企業に勤めていた時にも本当にうつの患者さんが多かったそうです。
うつを治すには原因をとりのぞかなければ。会社をやめたり、パワハラの上司のいないところにいくだけで治ったりもする。産業医としては、そういった悪い上司をやめさせたいけれど、そこまでの権限はなく、提言程度ということです。

*自分としては、最初は公衆衛生を嫌って、違う方向、血管の研究などをしてきたのに。

今公衆衛生が、どんどんこちらに近づいてくれて、生活習慣病や、メンタルヘルスが公衆衛生の柱になってきたのですから。
「産業医学の方向に自分のやってきたことが活かされることになったのはありがたいですね」と晴子さんはおっしゃいますが、晴子さんには素晴らしい先見の明があったのですね。

「私ももし、若い時に医者になっていたら、多分専門をきわめて、やっていたと思うけれど、途中からだったから、あちこち手を出し、診療もやる。研究もやる。産業医もやる。一次予防の講演会もやる。でもそれもまた良かったかなと思っています」。

今、産業医は、臨床もできて、検診もその後の治療もアドバイスできてというのが望ましいと晴子さんはおっしゃいます。

「幸い次男と私は産業医のマインドを色濃くもっていますから、ライフ健康クリニックを足場に地域に貢献できたらいいなと思っています」。

*お仕事にお忙しい晴子さん、息抜きには?の問いには

「ジャズを歌いに行っている。1時間くらい歌うとスカッと気持ちよくなります」
中高時代もジャズのレコードを聴いたり、映画を観たり、運動は苦手だったし、勉強もそんなにやっている方じゃなかった。

意外な一面を披露して下さいました。

高田晴子
学歴ならび職歴
平成4年  岐阜大学医学部卒業
平成4年  名鉄病院 研修医

平成6年  岐阜大学医学部衛生学教室助手
平成10年 岐阜大学医学部衛生学教室併任講師
平成12年 岐阜女子大学教授
岐阜大学医学部非常勤講師 現在に至る
(株)フレクトロニクス愛知(旧愛知カシオ)産業医 (平成20年まで)
平成14年 鈴鹿医療科学大学医用工学部教授 臨床工学科教授(平成22年まで)
平成19年 ライフ健康クリニックヘルスサポート.コア統括医 現在に至る
平成20年 トヨタ紡織(株)刈谷工場産業医

平成23年 TBコーポレートサービス産業医 現在に至る

資格その他
医学博士
日本加速度脈波・複雑系研究会主宰
日本総合健診医学会総合健診専門医
日本医師会認定産業医
日本人間ドック学会人間ドック認定医
日本旅行医学会認定医

株式会社ユメディカ学術顧問

(文 : 足立、 写真 : 鈴木、吉田)

タウンぶらぶら歩き一覧