2011年5月 株式会社サンデーフォークマネージメント – Nanzan Tokiwakai Web
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2011年5月16日

2011年5月 株式会社サンデーフォークマネージメント

「株式会社サンデーフォークマネージメント」は、1973年設立の「有限会社サンデーフォークプロモーション」が、2008年の組織再編に伴って社名変更し、資産管理会社となったことを機に、2010年から「人材派遣&人材コンサルタント事業」として始めた会社です。

代表取締役を務める井上多佳子さん(G20)が、中京地区のコンサート興業に新風を起こした伝説の「有限会社サンデーフォークプロモーション」創業者で、夫の故・井上隆司さんから、会社を受け継いだのは、今から12年前の1999年。それまで、専業主婦で子育てに専念していた多佳子さんが、「(有)サンデーフォークプロモーション」の会長に就くことになったのは、突然の病に倒れた隆司さんの”遺志”と”夢”を継いだからです。

その12年間の歩みと、この「(株)サンデーフォークマネージメント」設立のワケを、名古屋市東区にある本社ビルで伺いました。

( 井上 多佳子さん G20 )

やはり、現在の「(株)サンデーフォークマネージメント」運営と企業理念をお聞きする上で、なくてはならないのが、ご主人・隆司さんとの出会いでしょう。そして、社名の『サンデーフォーク』の由来についても・・

「2歳年上の主人は、高校時代、趣味でカントリー音楽のコピーバンドをしていました。アマチュアバンドが集う地域のフェスティバルに参加していたのですが、その名も、日曜日に集うから、『サンデー フォーク フェスティバル』・・趣味が高じて、大学浪人中には、上手なバンド仲間を紹介してプロモートする会社を立ち上げました。でも、素人がうまくいくわけがありませんよね。借金を背負って、この先どうすべきかを悩み東京へ逃避したのですが、決意を新たに名古屋に戻ってきた時に、偶然、友人を介して知り合ったんです。私が南山大学に推薦が決まった18歳の時でした。持っているものは借金だけで、先の保証は何もない状態でしたが、夢を語る情熱と、負け犬にはならないぞ!という想いに共感し、段々と一緒に、夢を形あるものにしていきたいと思うようになりました。もともと、ひかれたレールの上を歩くより、何かを創り上げていくことが好きだったみたい・・それに、何より、主人は、人としての大切な基本を軸として持っている人でした。情に厚く、正直で、誠実な人でした」。

ふたりで描いた”夢”・・それは「音楽が人生のエネルギーとなり、コンサートが市民権を得て、社会に認められる業界になること」でした。無名のミュージシャンをマネージして、数10人規模のコンサートを運営しながら、地元放送局や東京の大手のプロダクションからの支持を得られるようになり、やがて、”時代の風”にも後押しされて・・1970年代、井上陽水の「傘がない」の大ヒットによるコンサートの成功で、借金も返済でき、アリスなど、大手プロダクションの歌手ではないアーティストを次々と世に送り出すようになります。

(当時の手作りコンサート・チケット  本社6階にあるメモリアル・ルーム所蔵)

仕事が軌道にのった頃、ふたりは結婚しました。結婚式が、「本気でこの仕事をしていく」という新たな決意表明の場ともなりました。多佳子さんは、アーティストのコンサート・グッズとしての T-シャツなどを制作販売していましたが、出産を機に、育児に専念したいと望み、年子のお嬢さん二人を育てる日々が続く一方で、「サンデーフォークプロモーション」も、ライヴハウス「HEART LAND」のスタジオ・オープン、CDショップ「Big Orange」の経営、「VIVAラジオ」というラジオ番組制作会社の設立など、順調に事業の幅を広げていきます。

けれども、1999年11月、突然、隆司さんが、病気の宣告を受けて入院・手術。ふたりのお嬢さんたちは、高校2年と3年生でした。入院前夜、隆司さんは、「事業が健全に順調にいくように、社会に認められる企業として存続するように・・」と多佳子さんに、夢を託しました。

ご主人の遺志を継ぐ決意をしながらも、多佳子さんは「会社は、もはや、カリスマ社長が、ワン・マンでやってきた規模では無くなっている。次のステップに入った。経営形態を考えなくては・・」と考え、この10年を一区切りとして、進んできました。とはいえ、専門外の知識の不足は、信頼できるスタッフに何度も何度も聞きながら、これまで関わったことのない会社の決算書なども、「日本語なんだから、絶対、わかる!」と自分自身に言い聞かせて・・

この”超楽観主義”が、チャーム・ポイントなんだそうです・・「だって、人間の考えることに、そう大差はないでしょ?それに、人生は計画通りには運ばない。腹をくくらなきゃ。最悪どうなる?とシミュレーションしてみる。そうすれば、思わぬことが起こっても、たじろがない」。

その結果、2008年に、子会社5社を、時代とともに再構築し、「(有)サンデーフォークプロモーション」を、「(株)サンデーフォークマネージメント」と社名変更します。現在は、コンサートの企画運営を行う「(株)サンデーフォークプロモーション」、映像編集スタジオやTV番組制作の「(株)サンデーフォークメディア」、そして、人材派遣・人材コンサルタントを行う「(株)サンデーフォークマネージメント」が、『サンデーフォーク』の名のもとに、創業者の志をより堅固なものにしています。この変遷の中で、容易に想定される困難を克服できたのも、創業者の夢を継いでいこうという社内の共通の目的があったから。「大きな目的に向かっていれば、小さな障害は乗り越えられるものです」。

では、「(株)サンデーフォークマネージメント」の具体的な業務はどんなものでしょうか?

「いろいろな企業さまに適合する人材の発掘、提供を目指しています。人材を求めている企業と、仕事を探している人との良いマッチングができればと思います。また、長年、コンサートの企画運営で培ってきたノウハウを生かし、企業イヴェントの企画や、それに伴う人材派遣を請け負っています」。

「大規模なコンサートでは、大がかりな人手を必要としてきましたから、たくさんのアルバイトさんを頼みますが、そうした人たちが、それぞれの適正にあう仕事を探す時の窓口となれないだろうかと、考えてきたことも、人材派遣の大きな要因となっていますね。彼らが就職先を探す時に役立てればと願っています」。

それは、ご主人も考えていらしたアイディアですか?

「いえ、そこまでは、きっとまだ考えていなかったと思います。でも、10年をひと区切りとして、物事を決めてステップ・アップしてきた人ですから、私も、この10年は、それを見倣って進んできました。入院前夜に、主人と交わした”約束”は、果たせたのではと思っています」。

(メモリアル・ルームには、井上隆司社長が、アマチュア・バンド時代に憧れていたミュージシャンが使っていたものと同じギターやバンジョーも飾られています)

では、今後の夢は、何でしょう?

「夢は、ふたりの娘を嫁がせること(笑)。ふたりとも東京の大学を出て、好きな道を進んでいますが、会社の中に入って、業務を継ぎなさいと言ったことはありません。ただ、義務と責任は負っているとは話してあります。会社も育児も、結論を先に押し付けずに、じっと待つタイミングが大切という意味では同じ。どちらも、愛情がなければ、良く育ちませんから」。

「主人が、入院する前夜、話したことが、もうひとつあります。『私の子どもの頃からの夢は、専業主婦になって子育てをすることだった。その夢を叶えてくれてありがとう』と主人に言ったら、『一生、忘れないでね』と答えてくれました」。

「(株)サンデーフォークマネージメント」の社長室に飾られた4人の家族写真と、ご主人のお写真・・夫婦の二人三脚で歩んできた『サンデーフォーク』の歴史の礎と原動力が、そこにはありました。

(文:塩野崎  写真:成川)

井上多佳子さん プロフィール

1973年 南山高校女子部卒

1973年 南山大学文学部教育学科入学

しし座 A型

趣味はゴルフ:「こんな小っちゃなボールひとつ、思い通りには行かないんだ!と思いながら、打ってます。会社の弁護士さんからストレスを晴らしたら?と勧められました」。

次女の綾子さんはG48回生。

株式会社 サンデーフォークマネージメント

〒461-0005

名古屋市東区東桜2-12‐8 TIビル

tel 052 932 1155

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