2012年1月17日
東海廣告株式会社
今回お訪ねした東海廣告株式会社さんの本社は、地下鉄鶴舞駅から西方向、上前津に向かって千代田の交差点左角、中警察の斜め向かい側の五階建てビル。東海地区の生活圏すべての看板を扱う広告会社。 現社長のご子息で、東海廣告の取締役・開発事業部長の高橋良典さん(S52)にお話しを伺いました。
東海廣告株式会社 本社 名古屋市中区千代田3丁目4番11号 TEL052(321)5451
東海廣告株式会社取締役・開発事業部部長 高橋良典さん S52
営業種目は「交通広告」「電柱広告」「看板広告」。そしてサイン&ディスプレーの制作と、多岐にわたり広告主さんをフォローしていらっしゃいます。
(東海廣告株式会社 パンフレットより )
交通広告の取引先は 名古屋市交通局 名鉄 近鉄 JR東海。つまり100パーセントのシェア。
駅でおなじみの料金表や路線図案内に車内吊り広告。新しい駅ができると、路線図などすべて入札から印刷までリニュアル。終電の終わった真夜中の看板貼りにチームで繰り出すのだとか。
そして、近頃、よく目にする可愛いラッピング・バスのボディー広告まで・・私たちの日常生活全般でお世話になっているのですね。
創業は明治35年。名古屋電燈株式会社(現中部電力)の電柱広告を皮切りに、今年で110年を迎えられる老舗です。昭和14年に中区の小林町において株式会社に改組。昭和25年より印刷事業を開始、以後、市電柱広告の販売、制作、取り扱い、昭和63年には、JR東海の広告指定代理店を認可され、この地区での地盤をしっかりと強化されました。
平成6年には、開通した地下鉄桜通線の「瑞穂運動場西駅」に、創業90周年の記念として壁画を寄贈されました(写真左)。
現社長・4代目の公比古氏は、学生時代、ハンドボールで鍛えられたスポーツマン。先代社長で良典さんのお祖父さま(公一氏、2004年ご逝去)も、1940年の日本陸上選手権の棒高跳びで優勝。晩年は日本陸上競技連盟の名誉副会長を歴任された方です。瑞穂運動場の地下鉄駅に陸上競技をモチーフにした壁画を寄贈されたのも、そんな陸上競技への熱い想いが感じられます。
5代目となられる良典さんも、その血を受け継ぎ、スポーツ万能の好青年。青山学院大学・英文学科を卒業後、電通テックに勤務。主にイヴェント業務に携わり、4年間で、モーター・ショーやハウジングセンターのアンパンマン・ショーまで幅広く経験。2005年の愛知万博では、あの目玉のマンモス館のグローバル・ハウスを担当され、シベリア出張では、マンモスを持ち上げたこともお有りとか。そんな実績と経験を積んで、4年前、東海廣告に入社。目下、お父上の下で帝王学の習得中。終始、明るい笑顔で、歯切れよく気持ちよく取材に応じて、制作現場である分室・「制作室」にも案内してくださいました。
本社裏手にある「制作室」に移動する際の街なかでも、手がけられた看板の多くを目にすることができます。常盤会Web南山タウンに名を連ねる病院や事業主さまにも、東海廣告制の看板を掲げていらっしゃるところが多数あることを、改めて知ることになりました。
東海廣告株式会社 分室・「制作室」 名古屋市中区千代田3丁目6番8号
「制作室」では、「デザイン室」 「プリンター室」 「加工室」に分かれて、作業が行われています。
「デザイン室」:
PCを駆使して画面上でデザインをおこしていきます。手書きの職人作業だった看板は、もはや過去のことです。
続いて「プリンター室」:
デザイン室から仕上がったデザインを、大型プリンターで出力します。一見、紙のように見えますが、雨にも強いビニール素材で、裏は粘着シール。
「加工室」: (写真上&右)
出力されたシール状の型紙は、ここで立て看板や電柱その他に取り付けられるよう加工されます。この日は、地元の白山中学から、企業体験学習の中学生が加工作業の体験中で、地域貢献への姿勢をも垣間見ることができました。
看板の大きさや、掲示される方法や場所もさまざまですから、それらの条件に合わせて、ひとつひとつ、手作業で丁寧に作業されます。そして、これも手作業で枠組みされて造られた看板のフレームに貼られていきます。
企業理念は、「グローバルに、社会情勢や地球的変化を見つめ、街の景観を保ちながら、常に広告主&消費者の立場で、町の活性化を促す広告作りをすること」。
企業理念を裏付けるように、制作室の壁には「景観賞」受賞の賞状が飾られていました。
「貴社の作品は愛知県広告美術業組合主催の”活気ある街並み創る”『屋外広告作品展』において優秀であることを賞します」
また、なんといっても、作業中の現場で目についたのが、医院や病院など、医療関係の看板の多さです。それにも、納得のワケがありました。医療広告には厳しい法的な規制があり、過剰な宣伝や、使用できない文言も多いのだそうです。その法規を遵守する中での宣伝効果の高さに定評があり、医療関係からの信頼が絶大なのだとお見受けしました。看板広告の7割が、病院なのだそうです。
そして、作業室の片隅に、日本列島地図のボードを発見!それは、看板屋さんの”天敵”と大きな関係があります。昔、「風が吹くと桶屋が儲かる」と言われた時代もありましたが、看板屋さんの天敵は、なんと台風なのだそうです。強風にあおられた看板が飛んで、被害を出すということのないように、最大限の注意を払います。そのため台風状況をチェックする「台風進路・気象地図」が設置されているわけなのです。
屋外看板は、その管理業務も任されるため、万が一にも、壊れて破損した場合の看板の再制作も、会社が負わなければなりません。その対策としても、大型看板などは、フレームの真ん中に、蝶番がつけられていて、半分に折りたたむことで、台風や強風時の被害を防止する工夫がこらされています。(写真下左)
南山時代は、中学でラグビー部。高校時代は帰宅部の自称English部。高2の時には、1年間の米国・フロリダ留学。「帰国後、もう一度、高2からやり直し、7年間、在籍したことになりますが、勉強はどちらかというと苦手でしたね。好きな科目は体育と美術。当時は、美術教室が新しくできた頃で、美術の故・中島裕先生のことをよく覚えています」。 ”ヤンチャ”でならし、ご本人いわく「南山OBの中で、小生ほど卒業時に先生に喜ばれ、ホッとされた生徒は居なかったでしょう」と自嘲気味!?に述懐も・・
現在は、お忙しいお仕事の傍ら、名古屋JC、名古屋中法人会の青年部会の中核を担い、社外活動にも精力的です。
車(ドライヴ)と釣りが趣味で、とりわけ好きなのは、南山高校時代の同級生たちと、月に2回ほど出かける釣りで、三重県の大王崎や志摩がもっぱらの釣り場。
勿論、釣りがお得意とて、料理の方も大好きな花の独身31歳です。
街中で車を走らせていても、海外に出かけても、看板広告にすぐに目がいってしまうとか・・だだっ広い空間に看板の立つアメリカよりも、アジアの広告空間の方が勉強になるとおっしゃる高橋さん。公共の場や人が集まる場所で、効果的に情報発信する広告は、時代に即して刻々と姿を変えています。今や、デジタル広告にも素早く対応して、幅広く社業を展開。まさにメディア時代の先端を担うお仕事といえるでしょう。業界のリーディング・カンパニーとして、益々、事業を発展させていくと、熱く夢を語ってくださいました。
(文:堀江&塩野崎 写真:堀江)
東海廣告株式会社 本社 名古屋市中区千代田3丁目4番11号
TEL 052(321)5451(代)
分室・制作室 名古屋市中区千代田3丁目6番8号
TEL 052(321)1311(代)