2014年3月17日
「ヤマニの金庫」として知られる「株式会社ヤマニ商会」をお訪ねしました。
100m道路の矢場町久屋通りを越え、武平通りを北に100メートルも行くと「(株)ヤマニ商会」はあります。「ヤマニ商会」3代目社長の川村正さん(S25)と、ご長男の剛史(つよし)さん(S51)のお二人が笑顔で出迎えてくださいました。
「(株)ヤマニ商会」名古屋市中区栄5丁目12の25 ヤマニビル
3代目社長 川村正さん(S25)&ご長男の剛史さん(S51)
「(株)ヤマニ商会」、創業は昭和2年、今年で87周年を迎えられます。初代社長は、正さんのご祖父で、金庫、金銭登録器、保管庫の販売を個人で始められたのが、「ヤマニ商会」の原点。戦後すぐに金庫、保管庫ほか鋼鉄製品の製造に着手、戦後の混乱期を生き抜き、「ヤマニの金庫」を、名古屋はもちろん、中部地区最大のメーカーに育て上げ、全国に販売を広げられました。
昭和44年に初代が亡くなられ 正さんのお父上(川村 清氏 平成9年ご逝去)が二代目を継がれました。正さんは、愛知学院大学卒業(昭和52年)後は、すぐにヤマニに入社。お父上から、徹底的に帝王学を学ばれました。入社10年、31歳の時に、お父上が会長に退き、若き青年社長の誕生です。ヤマニの跡を託された三代目の双肩に、老舗を守り、業績を伸ばす責任がかかったのは言うまでもありません。
戦後、大八車で大型金庫を運んでいた頃、金庫を持つこと自体が「ステイタス」だった時代から、プロの窃盗集団がクレーン車で、根こそぎ金庫を持ち去る悪質な犯罪手口も横行する現代、耐火・防盗に対応できる「ダイヤル」式・「テンキー」式・「マグロック・シリンダー」式・「指紋照会」式から、「静脈照会」式まで、金庫の性能が進化を遂げる中で、「ヤマニ商会」は、起業当時から、自社で行っていた「金庫製造」の工場を、約15年前に閉鎖し、専門大手メーカーに外注。もちろん、金庫販売は、家庭用から郵便局&銀行の超大型金庫まで、各種扱っておられますが、その一方で、時代に呼応するように、トータル・セキュリティを急務と捉え、自主警備の必要性を提唱し、各種のセキュリティグッズの販売やシステムのリース管理を行い、業務の拡大を図っておられます。「一度、被害にあったら、二度目も狙われるケースが多い。威嚇して逃がす。被害を未然に防ぐ。とにかく窃盗団に、はちあわせしないこと。防犯監視カメラの設置。音声での威嚇。携帯やナビに映すカメラなど、システムのリースもありますので、お気軽に相談していただきたいですね」
さすがに、行動力、バイタリティに溢れた三代目社長、柔軟な頭脳で、硬い金庫だけから、セキュリティ全般のソフトへの進出、店舗、オフィス機器からグループ企業でコスメティック・サロンの展開など、「ヤマニ商会」の業態は多岐にわたり、現在の「ヤマニ商会」があるのです。
「信頼」「安全」「安心」の社是は不変ながら、移りゆく時代の変遷に応じて、平成8年には、正社長自ら、「金庫診断士」の資格を取得されました。「金庫診断士」とは、平成7年の阪神淡路大震災の大火による日本工業規格(JIS)の見直しや、金庫そのものに対する用件の変化、販売に対する広い知識が求められるようになったことで、業界の団体である日本セーフ・ファーニチャー共同連合会が認定する「金庫のエキスパート」の称号です。
それにしても、金庫とセキュリティ、防犯、防災は納得するのですが、化粧品となると、まさに異業種です。理由は、すぐに判りました。正さんのお母さま・典子さんです!
川村 典子さん 「(株) ヤマニクリエイティブプロダクツ」会長
ちょうど取材の最中に、お顔を出されたのですが、傘寿を迎えられたとお聞きし仰天。かくしゃくとされ、お肌はツルツル。なんでも、お母さまが46歳の時に出会ったソ二ーの化粧品の良さに感銘したことが、大きな転機となり、それまで良妻賢母の道を一心に歩んでいらっしゃったお母さまの若い頃からの夢「女性美を追求する仕事がしたい」という思いが、化粧品販売の起業へと駆りたてました。昭和54年、お父さまの許可を得て、ソニーのCP化粧品と代理店契約を結び、「(株)ヤマニ クリエイティブ プロダクツ」が設立されました。
当時、一般的だった化粧品の販売方式は、厳しい訪問販売。前向きの明るいお人柄と、「ヤマニ商会」社長夫人の信用から、かなりの業績をあげることができたそうですが、核家族化が進み、昼間は留守宅が増える時代に入ると、いち早く、サロン店舗での販売法をメーカーと考案されました。会員制ではなく、化粧品の「ボトル キープ制」で、それを使ってのハンドマッサージを施すフェイシャル・エステティック・サロンを、「ヤマニ商会」自社ビルの2階にオープンされたのです。以来、お母さまも、社長業の傍ら、ご自身もエステティシャンとして活躍。肌質や化粧品との相性チェックなど、事前の入念なカウンセリングで、東海3県に、フェイシャル・エステ、メイクサロンを13点舗、擁する会社に発展させました。会長職に退かれた今は、エステ・サロンのモデル、広告塔として、まだまだ現役の美しさ。また、健康事業部を立ち上げ、愛知万博で有名になったパイロゲンという健康飲料に力をいれておられます。会社の事業は、正さんの奥さまの靖子さんが、専務として典子会長の跡を継承していらっしゃいます。
CPコスメティクス代理店「株)ヤマニ クリエイティブ プロダクツ」
名古屋市中区栄5丁目12の25 ヤマニビル 「サロン ソワネ」
(松坂屋からも徒歩の至近距離)
男子部時代の正さん、卓球部では主将を務め、昭和47年には徳島のインターハイに個人で出場した腕前の持ち主。大学時代は、一転して、かントリー&ウエスタンにはまり、バンドを結成。今でも、名古屋のライブハウスでは、「チャーリー・川村」の異名をとるほど。仕事と遊びをきっちり両立。なるほど、今年、還暦を迎えるというのに、ご子息と並んでも、ご兄弟のように若々しいのは納得です。
さて、その剛史さん、在学中に、男子部の制服が自由化になり、「さして、ファッションに関心はなかった」というものの、流行のグレイのシャツにジャケット、エア・マックスで通学していたとか。一浪後、早稲田大学社会学部社会学科に進学。現在、33歳の剛史さんに、早くも「四代目」として、正さんは一目も二目もおいておられるご様子。年代からいっても、通常なら「まだまだ」という父親が多い中、開口一番、「これは僕より優秀なんですよ」。マスコミの世界を目指し、卒業後は、その方面にとの気持ちもあった剛史さんですが、お菓子のブルボンに入社。ブルボンのプチ・シリーズやルボンドなど自社製品を、スーパー、お菓子屋の店頭で売り込む業務も体験し、営業の厳しさを学ぶ良い経験を積まれたそうです。
しかし、10年前に、「どこかでは想定していた(笑)」事態が起こります。「家から連れ戻された(笑)」のです。ご自身の立場を、そう表現しつつも、未来図は、コスメ事業の店舗を増やすこと。しっかり、四代目として、近未来を見据えていらっしゃいます。現在、花嫁募集中。こればかりは、正さんも「やはり、一人前になるには、早く身を固めないと・・」と。でも大丈夫!川村家のしなやかで美しい女性たちに囲まれて、きっと、素敵な四代目夫人を見つけてくるにちがいありません。
ご長男の剛史さん 奥さまの靖子さん 正さん
先代社長の教え「人を使うのは難しい。トップは孤独」との金言をしっかりと守り、社員とはトコトン議論をつくし、酒も交わし、喧嘩もするという正社長。少数精鋭主義でリストラも敢行。世は平成の過酷な時代を迎えていますが、「ヤマニ商会」の三代目は、先の時代を見通して、社業の近代化に取り組み、お母さまの典子さん、奥さまの靖子さん、そしてご長男の剛史さんと共に、手をたずさえて順調に業績を伸ばしていらっしゃいます。
(取材 堀江&塩野崎)