2017年3月13日
「羽二重餅・はぶたえもち」をご存じでしょうか。
もち粉を蒸し、水あめ・砂糖を加えて、求肥(ぎゅうひ)で練り上げた福井銘菓で、 ウィキペディアには「福井で栄えた絹織物の羽二重織りにちなみ、1847年に錦梅堂によって作られた」とあります。
今回の「タウンぶらぶら」には、この「錦梅堂」九代目社長 紅谷宏志(べにや こうじ)さん(I02・石川)がご登場です。錦梅堂が元祖の「羽二重餅」。まずは、その由来となった福井の「羽二重織り」のご紹介から。
福井県・羽二重織り
明治4年、「五か条のご誓文」の創案者・旧藩士の由利公正が欧州から絹織物を持ち帰り、福井の有志に新しい絹織物の考案を依頼しました。一年を通して昼夜の乾湿の差が少ない福井地方は絹織物には最適の条件でした。 明治20年頃、羽二重織りの技術の基礎ができあがり、大正初年から半ばにかけては、福井県産の絹織物の輸出量が、全国の6割を占め、名実ともに世界一の生産地となりました。
生糸は、蚕の繭を煮て紡ぐため、撚り(より)がありません。たて糸と、よこ糸を交互に織ってできる絹織物のうち、たて糸を2本 通した織物が「羽二重」と呼ばれます。 福井の羽二重は、よこ糸を水で濡らして織っていくため、生地が引き締まり、丈夫。撚りがないので、引っかかりがなく、すべすべの手触りと、なめらかな美しい光沢の、羽のような味わいが生まれます。
「羽二重餅」の誕生
この福井の特産品である「羽二重織り」を、和菓子に考案・創作したのが「錦梅堂」の初祖・紅谷伊三郎氏。創業の弘化4年(1847年)に、越前福井藩松平家の御用達の御菓子司であった「錦梅堂」が藩主に献上。以来、現在の九代目に至るまで、県を代表する銘菓として170年間、確かな味と根強い人気を誇っています。
「羽二重餅」 なめらかな食感 つややかな光沢が特徴。四角形のぎゅうひ菓子
丸栄百貨店「福井県物産展 越前・若狭」 (2017年2月 21回目のご出店)
名古屋の丸栄百貨店では、毎年、福井県の物産展を開催しています。今年で29回目の催事に、21回目の出店をされている「錦梅堂」さんが、同窓生であることを知ったのは、昨年の2016年3月。南山国際高校の卒業式でのこと。安藤比呂美先生(前 国際中学校教頭・G19)から、「南国の教え子たちは、いろんなところで活躍しています。昨日も、デパートの物産展で福井の老舗の後継者になった石川君に会ってきました。福井では知らない人のいない和菓子屋さん。水ようかんも美味しいんです」と伺ったこと。福井生まれのワタシは、もちろん、「水ようかん」も「羽二重餅」も旧知の好物。翌日、丸栄に飛んでいきました。
石川君改め、紅谷社長は、「安藤先生が、物産展にたくさんの南国生を呼んできてくれます。そうですか・・女子部の方まで来てくださって、光栄です」と、戦場のような物産展売り場で、迷惑がらずに応じてくださり、「さすが福井県民!誠実で優しい!」というのが第一印象でした。
錦梅堂・九代目 紅谷宏志さん
丸栄 福井物産展にて 2017年2月24日
そして、今年2月、再び、恒例の物産展で、ひっきりなしに訪れるお客さんに接客する紅谷さんに再会しました。「今年も来てくださったんですね! 安藤先生は昨日でした(笑)!」と、一年ぶりの顔と名前に大きく反応くださった。「羽二重餅」と母の大好物の「水ようかん」を買い込み、物産展の会期終了後に、南山タウン協賛についてお願いすると、「福井で店をやっていると、出張中だといって、結構、同窓生が来てくれるんですよ。嬉しいですね。母校とか同窓生って、営業とか関係ない存在なんですよ。微力ながら南山のお力になれたら」と、速攻で嬉しいお返事がかえってきました。「やっぱり、優しく温かい」!! しかしながら、国際部卒ということは帰国子女。福井県民!になられるまでの足跡を伺いました。
大阪・東京・NY・千葉・名古屋・滋賀・福井。転校を繰り返し モットーは「一期一会」
1968年、大阪生まれの紅谷さんは、サラリーマンだった父上の関係で、幼少期を東京・ニューヨーク。中学時代を千葉で過ごし、高1で南山の国際部に編入。滋賀大学の経済学部に進みます。卒業後は、父上の影響と当時、流行りだったコミック誌『島耕作』に憧れて、「大きな舞台で営業の仕事がしたい」と、三菱電機に入社。防衛機器や半導体のマーケティングで活躍されます。
しかし、1994年2月に、滋賀大学テニス部時代の後輩とご結婚。奥さまは錦梅堂の八代目のお嬢さま。老舗の次期後継者になるべく、9月には、三菱を退社して福井へ。大きな人生の転機のわりに、「あまり考えていなかった。とんでもない田舎に来たなとは思いましたが(笑)」。 それには、転校を繰り返した紅谷さんの人生観が深く関わっているようです。「人生は人と人の繋がりが大切。それを一番大切にしてきたからこそ、今の自分があると思っています」
国際部(I 02)時代
「男子部の横にある、今では珍しい木造校舎。転入試験の後、面接で(故)須田教頭先生の優しげな表情に『ここに入りたいな』という気持ちが強くなったのを覚えています。高1クラスへの、確か私が16人目の編入生でした。転校生って、最初は『どこからきたの?』とか、いろいろ聞かれるのが普通と思っていましたが、みんなが転入生だったからか、全くそういうのが無かったのも印象に残っています。最終的には33人になる学年。英語は結構良かったはずなんですが、クラスでは普通なので、英語ができたという思いがありません(笑)。進路指導で (故)浅野尚先生から 「数字に強いから経済に向いてる」。担任の浅野享三先生からの「英文科で英語が出来るのも良いけど、他の学部で英語が出来るのも良いと思う」の言葉で、すぐに経済学部受験に切り替えたように思います。きめ細かい授業や進路指導をして頂いたと感謝しています」
防衛機器から羽二重・・硬から軟・・戸惑いは?
「営業職って、今思えば、毎日が新しい事やハプニングへの対応です。新規顧客開拓、納期遅延や商品不具合のクレーム、上司への報告・連絡・相談。期限までに仕事を仕上げるのに残業をしたり。それに比べて、和菓子屋って、毎日、同じ事の繰り返しで、同じものをずっと製造していく。先を想像しただけで、なんて退屈なんだろうと、最初は正直、思いました。でも5年程経ったある日、手順を間違えて違う品質のものが出来たと感じた時がありました。その時、毎日が『変わらない』というのは良い事で、それが変わらない『伝統の味を守る』事なんだと思いました」
老舗の九代目として 「繰り返しの中から生まれるもの」
2010年1月、九代目を継いでからは、お店のある繁華街・片町で、錦梅堂の顔として店頭に立つ。「朝8時の開店と共に製造スタート。前日仕込んだ、大きく伸ばした羽二重餅を一個単位に切断、個包装し、箱詰めと外包装を施し、配達に。午後は、翌日の羽二重餅の仕込みと他商品の製造。この繰り返し。以前は、単純作業に楽しみを感じられない時期もありましたが、今は、毎日の餅の出来具合や、工場の機械のわずかな音の違いにも気づけるようになりました。餅の固さや粘りまで、日々、違っていては、暖簾を守るものとしては失格です」
水ようかんは福井の冬の風物詩。こたつで暖をとりながら味わうのが定番
のど越しの良いつるりとした食感に沖縄産の黒糖の甘味が際立つ
越の初芽 木々の新芽をイメージした抹茶のらくがん風和菓子
「創業から、九代・170年となると、お客さまにも、幾世代にも渡ってご愛顧いただくことがあります。物産展では、お客さまの生の声を聴く良い機会なので、できるだけ売り場を離れないようにしています。ちょっとした隙に良いお客さまとの出会いを逃す可能性があるからです。丸栄百貨店さんに出店し始めた20年程前、自分の祖母と同じような世代のお客さまに、『私の祖母の時から、お宅の羽二重餅を買っているのよ』 と言われた事がありますが、味やパッケージを変えてはいけないと、お客さまに教えていただいた瞬間でした。今回の物産展では、お越しになったおばあちゃんが、お孫さんに『この味をよく覚えておきなさい』と仰った時は、有難さに頭が下がりました。そして、弊社の味は、『お客さまにも伝承して頂いている』のだと感じました」
伝統のバトンを繋ぐために
「まずは次世代が無事に3人成長しましたので、第一関門はクリアしました(笑)。でも170年続いたからといって、これからもずっと続く保証はどこにもありません。ちょっとした油断で明日にも廃業に追い込まれる事もあります。自分で作った会社なら潰してしまっても自分の責任ですみますが、受け継いだものだけに、潰す訳にはいきません。変わらない味を守り続けることに加えて、経営が良い状態で次にバトンを渡す事、これも結構なプレッシャーですかね(笑)
城下町・片町で「人の輪に支えられ」
「店舗のある通称・片町は、文字通り、片側が商店街。もう片側は城のお堀だった事に由来します。福井市の城下町で、お堀のすぐ外に、松平藩御用達の店や各種店舗が立ち並び、戦前には、中央卸売市場が近くの公園跡にありました。未だに魚の仲卸屋さんなどの各種老舗店が、片町に多数残っています」
「市場仲間、御用達仲間の繋がりは大変強く、おかげで町内会や子供会が今でも盛んな地区です。都会育ちの転勤族だっただけに、地域との縁が薄い人生を過ごしてきましたから、こんなに繋がりの濃い町内会には、当初、戸惑いがありました。ですが、一度、仲間に入っていったら、受け入れていただき、地元の人々に支えられ、日々、成長させていただいていると感じています」
城下町 通称・片町の (有) 錦梅堂 福井市順化1丁目7の7
2015年には、福井県物産協会の理事にも就任。紅谷さんの、国内外の地を転校して得た人生訓と、地道に積み上げていく謹直な安定感が、錦梅堂の暖簾と味覚を守り続けています。
最後に・・閉校の決まった国際校の在校生に
「母校が無くなってしまう寂しさはあります。でも、少子化・人口減少に伴い、学校だけでなく、様々な会社も無くなっていくと思います。例えば、昭和のピーク期に福井市の菓子組合の加盟店は100店舗前後あったと聞いていますが、今では、半数以下になっています。閉校が決まってしまった母校の在校生の皆さんには、社会に出る前にいち早く社会勉強を体験したと思い、前向きに現実をとらえて欲しい。そして、海外での生活経験を活かして、しっかりと将来を見据えていける目を養って欲しいと思います」
取材:塩野崎
(有) 錦梅堂
福井市順化1丁目7の7
JR福井駅下車 徒歩15分
営業時間:8時から19時
年中無休
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kinbaido@chime.ocn.ne.jp
TEL 0776-24-0383
FAX 0776-24-0382
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