vol. 102 木村 直哉(S27)「僕と南山と2つのプール」 – Nanzan Tokiwakai Web
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2015年7月26日

vol. 102 木村 直哉(S27)「僕と南山と2つのプール」

 1972年(昭和47年)5月15日、五月晴れの空の下、待望の新しい体育館、
そして、名古屋市内でも数少ない50メートル長水路の新プールが完成した。
1970年大阪万博の2年後のことである。
 では、初代の南山プールはというと、ここから少し、南山男子水泳部OBとして、
2つのプールに関わる楽しくそして少しセンチメンタルな思いで話しをさせて
いただきたい。
 
 1968年(昭和43年)4月、僕は晴れて南山中学の校門をくぐった。下町育ちの
僕にはこの高台にある環境がまるで別世界のようで、校舎近隣の瀟洒な住宅を含め
洋館の中学校舎に胸をときめかせた。また制服なども洒落ていた。ピカピカの校章の
学帽に黒詰襟、黒革カバンに黒革靴、胸ポケットには万年筆に銀の櫛だ。胸を張って
通学したものだ。
 
 入学すると間もなくクラブ活動の勧誘が行われた。校舎入口にはたくさんの勧誘
ポスターが張りめぐらされていた。中高一貫のせいであろう、中学生とは思えないほど
部活動の数が多いのには驚いた。僕はといえば、もうすでに、入学前から「水泳部」と
決めていた。小学校ではちょっとポッチャリしていたので、ダイエットのつもりと、
走るよりも泳ぐほうが得手だったという理由だ。
 
 こうして南山生活6年間の水泳漬けの生活が始まったのだ。初めて旧プールのドアを
開けた時の事は今でも覚えている。今も残る男子中学校舎と同じ、黄土色の
コンクリートで出来た観覧席を有する25メートルプールである。カルキ臭の漂う
シャワールームは4室ほどあったと記憶しているが、真鍮製のノブとチューリップ型の
蛇口で、なんともレトロで洋風で、映画の「アメリカン グラフィティー」や
「フィールド オブ ドリームス」の一場面に出てきそうな風情があった。何年に建設
されたのであろうか。中学校舎と同時期なのかは僕には不明であったが、以前は
外人さんがよく泳ぎに来ていたと、ある先生からお聞きした記憶がある。毎日の練習は
非常に厳しく、こちらはついこの間まで小学生であった新中一生に対し、キャプテンは
高校2年、こちらから見ればおじさんである。ほとんどが高校生レベルで進んで
いった。しかし、部活から離れたプライベートでは、この先輩たちに、ほんとうに
お世話になった。ほのかな初恋も人並みにしたのもこの中学時代だった。
 
 そして僕は1971年(昭和46年)、高校1年になった。高校入試もなく、
ひたすら水泳部生活を送ってこられたのも親のおかげである。このころになると後輩も
たくさんできた。毎年7?8人の入部者があったと思う。夏休みには1週間ほど、
各部とも校内での合宿が行われた。就寝は高校校舎の教室に布団を敷いて寝起きした。
食事はというと、旧プールの横にまたレトロな体育館があり、その地下には食堂が
あったのだ。普段の生活では昼食時と下校時、部活終わりに利用できた。メニューも
幾つかあり、定食、ラーメン、カレー、うどんなど、種類も値段も中高生には満足
できた。この食堂が合宿時の三食を提供してくれた。我が水泳部は、「朝練」として
朝食前に1500メートルを泳ぐ。夏の早朝にはプールの水はひんやりと気持ちが
よい。まして真夏の昼間の部活は水泳部に限る。練習はもちろん辛いが水の中は
快適だ。反面、他の運動部、とくに野球、ラグビー、陸上といったところは、朝っぱら
から泥だらけ。朝昼は、練習後、食堂に来ても、へばって飯が食えない。そこで、
すっきりで、腹ペコの練習後の水泳部員が、他部のおひつの中を覗き込んで、残りを
拝借、とにかくよく食べた。この合宿も思い出深いひとつである。
 
 冬になると陸上トレーニングとなる。観覧席を利用し筋トレやうさぎ跳び等で力を
つけた。八事の興正寺や覚王山日泰寺へもランニングを行った。今思えば、もう少し
こぎれいなジャージで走ればよかった。新年1月には、恒例であった寒中水泳が
おこなわれた。現在のプールが完成した次の年の新年、この寒中水泳が某新聞社の
取材を受けた。そしてなんと、この僕が代表で取材を受け、次の日の朝刊に
「今朝の顔」とかで顔写真つきでインタビューが掲載された。こんなことならもっと
気の利いた受け応えをしておけばよかったと、その日は恥ずかしさと照れ臭いので
下ばかり向いていた。
 
 こうして、高校2年のシーズンオフ、僕たちは後輩たちに後を任せ引退した。
今の私にとって、南山生活6年間、2つのプールが頼もしい明日への味方として後押し
してくれたのは言うまでもない。そして、それほど裕福な家庭でもないのに、この
南山への道筋を見つけてくれた亡き両親に心から感謝する。
 
 
 
木村直哉プロフィール
 
1956年12月7日生
1974年  南山高等学校卒業
1年浪人生活の後、家業の鋼材業(資)木村商店入社
現在(株)ミガキの木村 勤務
趣味:和太鼓・アルトサックス演奏

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