vol. 112 綿森 淑子(G09)「あなたは失語症を知っていますか?」 – Nanzan Tokiwakai Web
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2016年7月30日

vol. 112 綿森 淑子(G09)「あなたは失語症を知っていますか?」

 私達が毎日使っていることばがある日突然使えなくなったら、などと想像する人は
いないでしょう。でも脳卒中や頭の怪我によって脳の言語を司る部分が障害されると、
人との会話や文字の読み書きが思うようにできなくなる、という衝撃的なことが
誰にでも起きる可能性があるのです。これが失語症です。
 
 日本には失語症の人が50万人いるといわれていますが、街中で出会っても外見からは
わかりませんし、ことばを話すこと自体が難しいですから、困っていてもそれを人に
伝えることができません。文字言語も障害されるため、筆談や文字盤を使うことも
困難です。こうした失語症の特徴がそのまま社会的な認知度の低さ、支援体制のなさに
つながってしまっています。
 
 46歳のとき、脳出血で倒れ、失語症になった後藤卓也さんは、思うようにことばが
話せない苦しみを手記の中でこう書いています 
 ― 私はことばが自由にしゃべれないのは、まだ「手術したばかりだからなのだ」
と信じていた。手術後しばらくして、リハビリ病院に入院するとき、医者の問診が
あった。机の上にはボールペン、万年筆、定期券、百円玉が並べられた。最初の品物は
言えた。「ボールペン」。その次は万年筆である。そう言ったはずなのに耳が聞いた
ことばは「ボールペン」。定期券のときも「ボールペン」。 みんな笑った。心で
泣いた。転院についてきた次兄が、いたたまれずに部屋を出て行った ― 
 
 笑い話ではすまされない深刻な苦しみはこのあとも続きます。言語のリハビリを
受け、少しずつことばを取り戻して行ったものの、病前のようにはスムーズに会話が
できません。言えない、議論ができない、理路整然と伝えられない・・・ 後藤さん
には身体の麻痺もありますが、「身体の障害よりも、ことばの障害の方が何よりも
社会生活の上で障害になりました」と書いています。
 
 後藤さんのように、40代、50代の働き盛りに失語症になる人も多く、職場復帰の
ニーズは高いのですが、復職できる人は2割程度にとどまります。社会の情報化に
よって、言語による情報処理の重要性が飛躍的に高まったにもかかわらず、障害年金
などの公的支援制度は半世紀以上前のままで失語症の等級は低く、多くの家族が
生活苦を訴えています。適切な言語リハビリを続ければ失語症は年単位で改善
しますが、現在の医療制度では必要なリハビリを長期間受けることはできません。
ことばが不自由なために電話が使えず、役所や銀行などに一人で出かけて用を済ませる
ことが難しいなど、その影響は社会生活全般に及びます。「全ての国民が障害の有無に
かかわらず、等しく尊重され、必要な支援を受け、社会参加と選択の機会が確保される
ような共生社会の実現」という障害者総合支援法の基本理念に照らせば、失語症の人と
その家族を支える公的な仕組みづくりは急務です。
 
 失語症の人にやさしい社会を実現するには、失語症を知り、社会への一歩を支える
市民の役割も大切です。家に閉じこもりがちな失語症の人が安心して外出し、会話を
通して本来のその人らしさを発揮するのを支えるのが失語症会話パートナー(以下、
会話パートナー)と呼ばれる人たちです。愛知県では2004年から「会話パートナー養成
講座」が開かれるようになり、2007年に愛知県失語症会話パートナーの会「あなたの
声」が誕生しました。家族の失語症がきっかけで参加した人も少なくないそうです。
 
 失語症のことや、失語症の人の意思疎通を支援する会話技法を学んで活動している
会話パートナーの会は全国に20以上ありますが、「あなたの声」は全国ではじめて
3年前にNPO法人になりました。長年、名古屋市内で言語聴覚士として活動され、
会話パートナー養成にも力を尽くしてこられたG09の北山裕子さん(旧姓 深尾)が
顧問をされています。約70名の会員が愛知県下の失語症友の会や施設などに出向いて
ボランティアで会話や外出の支援を行っているほか、失語症の人と家族の相談や
情報交換の場としての「サロン」を開設しています。支援の場では会話を楽しむ
失語症の人の笑い声が聞こえ、支える家族も笑顔となり、部屋にはなごやかな空気が
流れます。会員からは、「つらさを乗り越えてこられた失語症の人から学ぶことは
多い」、「感動や力をいただいた」などポジティブな感想が聞かれます。
 
 今年も9月10日から第16期失語症会話パートナー養成講座
(http://anatanokoe.sakura.ne.jp) が始まります。あなたも参加してみませんか。
 
*詳細は 今月号の短信「同窓生からのお知らせ」欄をご覧ください。
*本文中の「障害」は、厚生省HPの法律名称にのっとって漢字表記にしています。
*後藤卓也さんの手記は以下からの引用です。
 後藤卓也:『やる気にさせた?失語症とパソコン』ベイゲット・2009
後藤卓也HP:ttp://kinenkan.info/inpaku/index.html

 
<プロフィール>=================
綿森 淑子(G09)
東京大学医学部保健学科卒業
ワシントン大学大学院言語病理学修士課程修了(M.A.)
医学博士(東京大学) 言語聴覚士
東京大学医学部附属病院リハビリテーション部言語治療士
東京都老人総合研究所研究員
広島県立保健福祉大学保健福祉学部コミュニケーション障害学科教授を経て、
 現在は名誉教授
 

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