2006年8月5日
南山卒後30有余年、50の坂も半ばを過ぎ、ふと立ち止まって来し方・行く末を心に浮べて見ると、来し方ばかりが多くなり行く末の方はついつい後回しです。
本当はこちらの方こそ真剣に考えなければいけない年になっているのですけど・・・。
我々の世代の枕詞はなんと言っても「団塊」です。この団塊世代の来し方を、数字で見てみましょう。(私の専門は公衆衛生なので、ついつい統計数字を見るのが大好きなんです)
戦後まもなくの復興期、産めよ・増やせよの掛け声の下、昨今の少子化時代とは打って変わって、270万人もの赤ちゃんが1年間に産声を上げたのです。そして当時の平均寿命は、なんと59.8歳(女)だったのです。つまりあの当時生まれた女の赤ちゃんは、還暦まで生き延びるとは期待されていなかったのです。それが今では最新の統計では(平成17年)57歳女性の平均余命は30.34年!これからまだ30年も生きながらえることが期待されているのです。しかし、この数字は女性の数字で、男性はある意味で過酷な人生を歩んでいるのです。最近話題になっている自殺の資料に目を向けると、しみじみ女性に生まれてよかったと思える数字が並んでいます。50歳代の自殺死亡率を男女で比べると、男性の方がおよそ2倍で、50歳代にピークが見られますが、女性にはそんなピークは見られません。
そして、勿論自殺に限らず、50歳位から女性の方が死ななくなっています。年齢階級別の死亡率を男女で比べて見ると、60〜69歳で最も高く男性は女性の2.4倍も多くの人があの世へと旅立っているのです。男性は悪い言葉で言えば、リタイヤして、これから第2の人生を楽しもうとするころからバタバタ亡くなっていきます。(お父さんを労わって下さい)おそらく30年の平均余命の内、半分の15年はご夫婦で残りの15年は一人暮らしと言ったところかもしれません。一応そうと仮定して、さあどんな人生設計を立てたらいいのでしょう。そこで砂上の
楼閣・夢幻・現実離れ・・何といわれようと自分なりの「理想の生活」を思い描くのはいかがでしょう。
私は現在仕事で独居高齢者や高齢世帯の訪問調査をしています。80歳を超えても元気で自立した生活をされている方のお話はそれぞれ示唆に富んでいます。大邸宅に一人暮らしの方もいれば、小さなアパートにご夫婦二人という方もいらっしゃいます。その方たちのお話の中から参考になるようなお話をご紹介します。
ある女性がこんなことをお話されました。「今、ペン習字を習っているんです。
習い事をするのはいいけれど作品として残るものは止めました。主人が亡くなった時趣味の作品がいっぱいあって、その処分に本当に大変でした。私が死んだ後子供たちにそんな苦労はさせたくないので、ペン習字なら紙1枚ですし・・・」と週1回のペン習字を定期的な外出の機会として楽しんでいらっしゃいました。
体験から学んだ貴重なご意見です。ちなみにこの話を我が家の子供に聞かせたら「別に気にせず、作品を作ってもいいよ。死んだらさっさと捨てるから」我が子は親孝行それとも親不孝。(育て方を間違えたかな?)
ある女性は優しかったご主人の思い出を胸に、毎日子供さんからの安否確認の電話があるという恵まれた環境の方でした。「私はギリギリまで元気で最後は病院で3日寝てからあの世へ行きたいですね。3日あれば子供たちも最期に間に合うでしょ。」
3日という数字が具体的で切実感が滲み出ています。最高齢は97歳の女性です。
周りの人のサポートを受けながら身の丈に合った生活を楽しんでいました。
「100歳まで生きたい」と意欲的でした。多くの高齢者のお話の中で必ず出てくる言葉は「感謝」の言葉です。「皆に良くしてもらってます」「ありがたいことです」と日々の生活の中で感謝の気持ちを持ちながら、自分で出来ることは自分でしたいと前向きな姿勢が感じられました。お食事のことに関しても、お惣菜は「買いませんね。やっぱり自分で作った方がおいしいですし・・」毎日の食事の記録をきちんと日記風に書いていらっしゃる方もいました。又殆どの方は医療機関に掛かっていて健康管理もバッチリです。
毎日の時間を上手に工夫して自分なりの生活リズムを作り、感謝の気持ちを常に心に抱きながら一日一日を恙なく暮らす。それが理想の行く末かもしれません。
そして最期の時を迎えます。まだ30年も先のことなので、先ほどの方のように具体的には表現できませんが、少なくとも私の理想は「自然死」です。命の炎が自然に燃え尽きるように消えていきたいのですが。「自然死」という言葉は死亡診断書の中にも記載されている言葉でとても気に入っています。自然に生きて自然に死にたい。私のささやかな願いです。
今度も我が家の子供に言ったら「自然に生きるって好き勝手に生きることでしょ。
もうそうしてるじゃない。自然に死ぬって野垂れ死にのことでしょ。大丈夫放っておくから」(やっぱり育て方を間違えたようです)
こうして私のささやかな願いはとんでもない方へと飛んでいくのです。理想の生活そして理想の終焉への道のりは山あり谷あり険しい山道です。でも同じ時代を共有してきた仲間同士手を携えて一歩一歩登っていけば、きっと辿り着けると信じています。
G-15 三木真知(旧姓 高部) (京都在住)