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2021年12月23日

vol.166 髙間 譲治(S19)「不良老人」を楽しむことを夢見た仲間たち

 還暦を過ぎたら、仕事を控え、山に登り、海で釣りをしながら自然を満喫し、周りからは「不良老人」といわれることを密かに楽しんでいる仲間たちと時を忘れて語らっている自分の姿を夢想していた。ところが、還暦を過ぎたころから、良き友をひとり二人と見送り、過去を振り返っている自分がいる。
 
 世間からは「団塊の世代」といわれ、戦後の「自由・平等」という時代を思い切り生きることができた我々の世代は、幸せであったとも実感している。振り返ると「自由・平等」というものをわからないなりに、その思いを自分の子供に託した親の世代が「ミッションスクール」ということから「自由・平等」を願い、入学させてくれたのかもしれない。
 
 しかし、現実には厳しい校則があり、高校受験はなかったが、中学から大学を見据えた教育方針で全員を大学受験へと駆り立てる教育であった。さらに、当時は「指導部」というものがあり、生徒は「良き人格に導く対象」と考えられていた先生方が多く、対立することもあったが、学年担任は異動も少なく生徒の自主性を重んじ、生徒たちの話題にも耳を傾けていただけたように思う。
 一方、中高一貫教育であったことから、案外「ゆとりのある時間」を過ごすこともできたようである。
 
 今振り返ると、僅か6年間という短い期間であったが、中学時代には兄の影響もあり、今は亡き友と山登りをはじめ、週末には御在所岳周辺の山や川へ仲間を伴い、幾度も山行を体験した。中学3年の春休みには高校受験もないことから、卒業記念にと今は亡き友と二人で12日間の周遊券を手に四国一周旅行もできた。
 
 高校時代には、二学期の期末試験後の試験休み期間(終業式まで1週間の休みがあった)にスキーに行き、真っ黒にスキー焼けして終業式で大目玉を食らったりもした。
 運動会では、畳20枚以上の大きな壁画を描き、スタンドや幟を作り、クラス全員のアンダーシャツを一日がかりで大釜でカラフルに染色して、立体的で色彩豊かな会場づくりをして盛り上げたり、文化祭では、油絵やステンドグラスを出品したり、演劇部では舞台セットを徹夜で創作したりもした。
 
 2年の時などは、いつもの仲間と茶房「竹ノ舎」を企画し、「和」の空間づくりを試み、近くの修道院と交渉し、修道院内の竹藪から何本もの竹を切り出し、竹の花卉や置き物などを造り、雰囲気づくりをしたり、販売チケットをデザインしたりと頑張っていたら、開催一週間前に盲腸を手術することになり、当日は「聖霊病院」で過ごす羽目になった。
 また、試験期間に一緒に勉強しようと我が家に集まったが、麻雀牌があったことから勉強そっちのけで麻雀を始めてしまい、試験が終わった後から始めるのが「本当の勉強さ」と嘯く楽しい仲間たちがいつも周りにいた。
 
 卒業後は、名古屋や東京の大学に進学し、それぞれの大学生活を満喫した後、名古屋に戻り家業を継いで事業の拡大に尽力しているもの、大手商社に入り海外で活躍しているもの、大学に残り研究を続け、自分の受けた教育に感謝し、その思いを伝えようと努力しているもの、それぞれ目指すものは様々であるが、年に一度は名古屋に集まり、南山の中高校時代の思い出話を肴に相も変わらず「痛飲快食」を楽しみ、その流れで恩師の家に押しかけてはしばし楽しい時を過ごすこともできた。
 
 40歳を過ぎたころから、地方に転勤した親友の計らいで、旨い「地酒」やジビエなど「珍味」を囲み、山歩き・スキー・渓流釣りなど互いの得意な「技」を自慢しあい、共に学ぶ「不良老人」となる準備をしてきた。
 
 こんなことができたのも、同世代の一割程度しか大学進学しないあの時代に、ほぼ全員が進学する「南山」で学ぶことができたからであろうか。定員の少ない私学で比較的価値観が近い環境で育った仲間であることや恩師が我々の行動に理解を示し(時には羽目を外すこともあったが)、我慢強く見守ってくださったからだろうか。楽しかった思い出がいっぱい詰まった6年間であった。それで十分だ。
 「南山」での6年間は、その後の人生を準備する満ち足りた時間であったのであろう。
 
 この原稿は、今年、集うことを計画していた「恩師・中村敬先生の卒寿のお祝」の会が、コロナ過でできなくなったため、有志が「思い出を語る」ということで投稿した文章に加筆したものです。
 
 
髙間 譲治 プロフィール
1967年 南山高校卒業(S19)
1972年 早稲田大学 理工学部建築学科卒業
1977年 早稲田大学大学院 理工学研究科建設工学専修(都市計画)博士課程修了
2021年 二松学舎大学 文学部都市文化デザイン学科教授退官
現在は、東京にて建築・アーバンデザイン・ランドスケープデザインを行うコンサル
タント会社を主宰

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