2007年1月6日
十五年間暮したパリに、旅行者として戻ったとき、私はホテルにスーツケースを置くのももどかしく、カフェ<ドゥ・マゴ>に駆けつける。
道すがらのキオスクで買い求めた数冊の雑誌や<パリスコープ>(一週間のパリのあらゆる催しもの、行事を満載した小冊子)をテーブルに置く。飲みものは赤ワイン。日本からパリへの直行便は夕刻に到着することが多く、美しい黄昏どきにふさわしく。
ほっとして、やおら 目の前を行きかう人波を眺めると、ああ、パリに来ているという感動がふつふつとわいてくる。
大好きなパリのなかでも、特に気に入りのサン・ジェルマン界隈。
ルーブル美術館はじめ数多くの大小の美術館、オペラやバレエやコンサート(日本よりずっと安価で鑑賞出来る)、ショッピング、そして旧友たちとの再会。
パリが提供してくれる喜びはたくさんあるけれど、<ドゥ・マゴ>のテラスでパリっ子を眺める幸せはまた格別である。
男女を問わず、世界でいちばん洗練されたおしゃれな普段着にお目にかかれるのは、サン・ジェルマン界隈を除いて他にない。
彼らの服装はクラシックに尽きる。ヘヤースタイルやバックや靴などが<現代>をひとりひとりの美的感覚が<個性>を演出している。時折。モード関係者らしいひとの、とびきりファッショナブルの装いや、派手に人目をひく装いの旅行者が混じるのも、花の都、モードの都ならではのスペクタクルである。
二十の区から成り立っているパリ。ひとつひとつの区が特徴があり、異なった顔を持っている。
<ドゥ・マゴ>の住所は六区でも、七区の雰囲気が濃厚である。六区は学生街カルチエ・ラタンに隣接していて、若者の活気に充ちている。その点、七区は大人の街、落ち着きと知性がある。
<ドゥ・マゴ>にはどこからか、フォーブル・サン・ジェルマンの風が漂ってくる。
フォーブル・サン・ジェルマン。フランス革命以前の十八世紀の貴族街はセーヌ河沿いの一画にある。
ミニ・ヴェルサイユ宮殿といった趣の豪奢な廛敷と大庭園は高い石壁に囲まれて、外から内側をうかがうことは出来ない。多くの館は、例えばイタリア大使館など官公庁の使用するところである。住人は変わっても、古くからの名残りの香気と品位をとどめている。
フランスが最もフランスらしく優美で典稚だった十八世紀の伝統が、<ドゥ・マゴ>界隈に集まってくる人々にいまも生き続け、彼らの装いに反映している。
十九世紀半ば、オスマン知事による大改造で変貌したパリは意外に新しい街なのであるが、サン・ジェルマン界隈はフランスの優雅の伝統を偲ぶ最良の場所である。
2006年の流行語大賞の受賞者藤原正彦氏が、受賞の席で<流行より伝統>と皮肉なスピーチをされたことが記憶に新しい。
(駒田芳子さんのプロフィール)
「パリに恋した私に、気まぐれな女神がポンと投げて寄こしたのがヴィトンの職場
でした」
駒田さんは1973年から2年半、古き良き時代のパリのヴィトンに勤務。スターと言われる人で来店しない人はいないのでは、という感じだったそうです。
著書に「メンバーズオンリー」があります。そんな経験も含め、15年の外国暮らしを経た方ならではのとても興味深い内容です。ご覧になりたい方は常盤会室でどうぞ。