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2024年5月19日

vol.190 モーリス・和加子(G20/旧姓:竹井)「名前に導かれた”和(日本)と加(カナダ)”の子」

私が南山高校女子部を2年1学期で中退し、父親の転勤先の南米ペルーへ渡ったのは1971年7月。両親は弟を連れて1968年に既に転勤していました。南山での生活が楽しく友人からも離れ難かった私は、高校卒業まで日本に残ると宣言。祖母と2人で暮らしていましたが、遂に両親からのお呼びがかかってしまい、行かざるを得なくなりました。

4年後、日本に帰国し、大学卒業の1年後、カナダに移住したのが1979年のことでした。今では仕事も引退し、誰に気兼ねすることなく旅行できるので、今年の秋に開催予定のG20「古希を祝う同期会」に出席することを決めました。

1971年に別れた友人たちに会うのは53年振り。今から既に興奮気味で、11月の同窓会で皆に会ったらきっと泣いてしまうだろうと思っています。顔も体型も変わった私を皆はわかってくれるだろうか。私も皆をわかるだろうか。6年前ペルーで卒業した高校の同窓会に行きましたが、その時も友人に会うのは45年振りで皆と抱き合って喜びました。学生時代の友とは何十年会っていなくても、見栄も外聞もなくそれまでの社会的地位など関係なく、あの時代の自分たちに戻れる、学友ならではの素晴らしい関係です。

少し自分の仕事についてお話いたします。私は北太平洋公海(各国の200海里の外側に位置する水域)での鮭の漁獲を禁止する国際条約に基づく、日・米・加・露・韓の5か国政府から成る国際政府機関で財政運営総務官として30年間勤務しました。バンクーバーに置かれた事務局の仕事は5か国政府の水産庁、漁業省の政務官、水産科学者、海上保安庁等の公務員との橋渡し、鮭の科学的調査研究、公海での違反操業船の取締り調整、研究文書出版等でした。私の仕事は委員会の財政管理、運営、又、各政府との公海での違反船取締り情報交換等。年次会議は5か国持ち回りで行われ、会議場探しから始まり、色々な業者との契約、各国参加者のための査証取得、開催に必要な文書の準備等でした。そして会議中は、会議の運営、議事録作成等、 連日、早朝から深夜に及ぶ作業が続き、寝不足の毎日を過ごしました。米・加での開催に比べて、ロシアでの開催となると、その準備・運営は至難の業でした。文化習慣の違いを把握しながら、開催国政府高官との取り組みには神経をすり減らしました。地元の業者とのやり取りも忍耐との闘いでした。長年こちらに住んで北米のやり方に慣れている私にとっては、もはやカナダ、米国での開催が一番楽になっていました。

4か国語で進められていた当委員会の会議は、世界中から手配する多数の同時通訳者に加え、同時通訳機材の手配も大仕事でした。特に1990年前半のウラジオストックは、ロシアでも開国最後の地で、まだまだ西欧化されていないソビエト時代の町であったため、仕事で疲れている上、低いレベルで便の悪い日常生活での長期滞在は厳しく、私は一か月で体重を10㎏も落とすこともありました。

モスクワ、セントピーターズバーグ、カムチャッカ、サハリン等、ロシアには通算20回以上通いました。この年次会議は、会議の前後を入れると約3週間以上を要し、その間、家族から離れ、又、年次会議以外の会議も加えると、年に5回は海外出張があったため、留守をすべて夫に任せていました。子どもたちが小さかった頃も、夫は自分の仕事に加え家事・育児の一切を引き受けてくれました。夫の理解なくしては、このような仕事はできませんでした。
一般人では行けないようなロシアの色々な僻地に行き、米・加の海上保安庁の飛行機に乗り公海の上空から中国の違反船を目撃し拿捕する等、色々な忘れ得ぬ経験は私の貴重な人生の思い出となっています。好きな仕事を辞めるのには後ろ髪を引かれましたが、全身全霊を傾けて働き引退後すぐに亡くなっていった先輩達を見て、私は元気なうちにもう一つの人生に臨みたいと思い切り、8年前に仕事を辞めました。

一抹の不安もある引退後の生活でしたが、長くお休みしていた好きなクラシックギターを再開してアンサンブルやソロを楽しみ、引退後に始めたゴルフにも大いにはまって楽しんでいたところ、そのギター協会の理事を頼まれ、今は組織の活動援助に時間と力を注ぐこととなりました。

カナダには、第2次世界大戦中、日系カナダ人が内陸に強制送還され私物も没収されるという悲惨な過去の歴史があります。1980年の後半にカナダ政府が謝罪し、その謝罪金で2000年に日系文化センター・博物館が設立されました。私は引退と同時にその理事も仰せつかりました。仕事の心配をすることなく、好きな時に夫との世界旅行を楽しもうと思っていたのですが、実際は、次々とボランティアでの仕事を任され、引退以前よりも忙しい日々になってしまいました。その上、2024年パリオリンピック・ボランティアにも選ばれ、この夏、フランスに行って参ります。こんな私でも必要とされることに感謝し、元気なうちに少しでも社会のお役に立てるならと、今はボランティアに励んでいます。

そして、11月の「古希同期会」に向けて立ち上がったという「G20・グループLine」、再び懐かしい同級生たちと繋がることができました。皆に会えるその日を待ちこがれる今日です。(記:2024年4月)

モーリス・和加子 (旧姓:竹井/G20)
1971年  ペルーに渡る(南山高校女子部2年)
1974年末 帰国
1978年  上智大学外国語学部イスパニア学科卒
1979年  英国人と結婚、カナダへ移住
1984年  長男出産
1991年  次男出産
現在   カナダBC州ノースバンクーバー市にて夫と2人暮らし

<職歴>
1978年  宗教法人イエズス会会計事務所勤務
1980年-1982年 カナダ三井物産支店長秘書
1982年-1984年 カナダ鉱山会社部長補佐
1986年-2016年 北太平洋漁業国際委員会・北太平洋溯河性魚類委員会の財政運営
総務官
2016年 引退退職

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