vol. 71 小川 珊鶴(S30)悠久の花の歴史をたどって「七夕に捧ぐ」 – Nanzan Tokiwakai Web
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2012年6月23日

vol. 71 小川 珊鶴(S30)悠久の花の歴史をたどって「七夕に捧ぐ」

 金環日食の天体ショーに日本列島が湧き、太陽と月と地球がつかさどる恒久の営みの
軌道に魅入ったのは、つい先月のことです。私たちが、宇宙に神秘や畏敬の念を感じる
のは、太古の昔から変わることがありません。それは、たとえば、「七夕」にまつわる
牽牛と織女の「天の川」伝説が、今なお語り継がれていることにも表れているのでは
ないでしょうか。

 「七夕」行事の由来は、その昔、神のために美しい衣を織ったという「棚機つ女
(たなばたつめ)」信仰の日本古来の祭事と、中国の「巧みになることを乞い願う」と
いう意味の「乞巧奠(きこうでん)」の風習とが合体したことにあります。

 牽牛と織女にまつわる星合いの詩歌を詠んだ歌会が宮中で催されたことに始まり、
平安中期になると、「七夕」行事は、機織り(はたおり)に優れていたという
「たなばたつめ」にあやかり、上手になりたい技芸のお道具である糸や針、筆や硯
などを飾り、上達を願う詩歌を梶の葉に書きつけて祈る公家たちの文化となって栄えて
いきます。

 室町時代には、禁裏や上流の人々の間で、「七夕法楽」が催されるようになります。
「法楽」とは、仏教の行事の後などの娯楽の会で、「詩歌」「生け花」「管弦」などの
技芸が披露されました。今の「お遊戯会」にも通じ、近年まで、小学校行事の「お遊戯
会」が、子供たちの学芸の闊達を願って、「七夕」に行われていたことは、知らず
知らずのうちに、いにしえの習わしが、時を経て受け継がれてきたことにもなりま
しょう。

 そして、この上代の「七夕」は、天下泰平の江戸中期、幕府が「五節供」の日にちを
制定したことによって、一般の人々にも広く親しまれるようになりました。 江戸の
民衆たちは、少しでも星に願いが届くようにと、より天に近い背丈の高い竹を競い
求め、粋にはやる江戸っ子の願いを五色の短冊に書きつけて吊るしました。それが
「七夕」飾りの型となって、今に生き続けています。

 「五節供」に制定されたのは、「七夕」の他、3月3日「上巳(じょうし)」と5月5日
「端午」(ともに厄除け祈願)、9月9日の「重陽(ちょうよう)」(長寿祈願)と、
1月7日の「人日(じんじつ)」の節供(息災祈願)で、「節供」と「花」には深い
関わりがあります。

 1月7日の「人日」の子の刻に、野原に出て若松をひき、若菜を摘む風習も、七草粥で
無病息災を願うのも、人々が、その季節の植物から生命力をもらうと信じられている
ことにあります。常緑の松には、神霊が宿るとも言われてきました。「上巳」の節供を
「桃」、「重陽」の節供を「菊」の節供と呼び、「端午」の節供に、葉先が剣のような
根しょうぶの葉を軒に差して、男児の健勝を願ったのも、根しょうぶの香気が邪気を
祓うと考えられていたからです。そして、「七夕法楽」で催されるようになった
「花会」や「七夕」に奉納された生け花が、今の「生け花」の隆盛の起源だといっても
よいでしょう。

 現代に、「節供」や「花」の季節を考察する上で大切なことは、旧暦の感覚を取り
もどすことです。私ども「生け花」の世界では、「七夕」に、「蓮」「仙翁(せんの
うげ)」「秋の七草」などを生けます。夏の行事と思われがちな「七夕」ですが、
旧暦の7月7日といえば、もう「立秋」ですから、旧盆に、山野に出れば、そこは、秋の
千草が彩りを競う花野の世界でした。そこから「七夕」の「七」にかけて「秋の七草」
が「供花」とされました。

 万葉集で、山上憶良は『秋の野に咲きたる花を指折りて かき数ふれば七草の花』
(八巻1537)『萩の花、尾花、葛花、なでしこの花、女郎花(おみなえし)、また
藤袴、朝顔の花(現在の桔梗のこと)』(八巻1538)と詠んでいます。花野とは、
秋草が咲き乱れる様をいいますが、憶良が、その中から、この七種の花々を選び詠んだ
ことは興味深いことです。五感を研ぎ澄ませて、現代の暦からひと月遅れの旧暦の
空気感を呼び覚ますと、涼風の立ち始めた初秋に、澄みきった満天に輝く天の川の
「七夕」物語が鮮明に浮き上がってくるでしょう。

 私たちは、こうして伝統という揺りかごの中で、知らず知らずのうちに育ちました。
日本古来の伝統や風習は、消えそうになりながらも平成の世に連なり、現代に生き
続けています。花道家として私は、伝統の『よすが』を現代の生活に生かし、みなさま
にもそれらを五感で感じ取っていただくよう、また、次の世代に受け継がれるように、
今在るもの、今に伝わるものを大切にすることで啓蒙に努めてまいりたいと思います。

 現代に生きる私たちひとりひとりが、時代と伝統の継承者であるという想いを新たに
して、忘れ去られようとしている祭礼や季節の行事を大切に守り続けていきたいと
心から願っております。

小川珊鶴 プロフィール
1959年 名古屋生まれ 幼少より茶華道・日舞を始め各種古典芸能に親しむ
名古屋芸術大学美術部日本画科卒業
1991年 平成芸術花院 設立
2009年 半白を記念し御園座にて行った舞といけ花の公演「花舞伎」で
      名古屋市民芸術祭2009 伝統芸能部門特別賞 受賞
2010年 八事興正寺にて夏の花会「狂花綺譚」 cop10パートナーシップ
2011年 尾張徳川家ゆかりの相応寺にて「秋の花会」
    ナゴヤドーム「焼き物ワールド」メイン・ディスプレイ装花担当
毎年1回名古屋の名所や文化的建造物での花会を開催
その他オーストラリア領事館やカナダ領事館主催の晩餐会、国際会議などでも、
いけ花パフォーマンス・公演で活躍中

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