2006年1月6日
南山高校を卒業して名古屋を離れ、もう東京の暮らしの方が長くなった。
そのためかえって、仕事で帰名した折など、浦島太郎のようにカルチャーショックを受けることがある。
今年、専門学校の講座があり、寄った折にこれはすでに高名とどろく「ひつまぶし」を食した。いまやナゴヤメシは、愛知万博ブームも手伝って全国でも流行ときくが、高校生の頃、ひつまぶしなど、名前すら知らなかった。同様に、みそカツも、みそ煮込みうどんもそうである。
私が南山で過ごしたのは、1960年代であったから、美食などというものすらなく、名古屋名物といえば、きしめんくらいだったろうか。思えば、ひつまぶしもその頃は、知る人ぞ知る伝統食としてひっそりと続いていたのであろう。
いずれにしろ、私にとってひつまぶしは、このうえもなく美味なカルチャーショックであった。
いまひとつショックなことは、学生たちと話をしていて、アレレ、と奇妙に思ったことがある。それは方言のナマリがほとんどないことである。彼らは、ほぼ標準語であった。
かつて名古屋のテナントビルのオープニング・キャンペーンを依頼され、「海老フリャア食べとるヒマは、にゃあ」というコピーをつくり、ヒットしたことがある。10年以上前のことだが、いまでは効くかどうか。名古屋人の柔軟な協調性といえばきこえは良いが、食と言葉は、文化である。
願わくば、ナゴヤメシと同様にミャーミャー弁にも誇りを抱いてほしい。
それにしても、実のところいま最も懐かしく食べたいものは、南山高の食堂のメニューにあった、クジラのカツをのせたインディアン・カレーである。